山と積まれたパレット。これを直すのが僕の新しい仕事だった。
あの頃、玉ねぎの皮をむくバイトをやめた僕は、求人情報誌を見て、今度はフォークリフトを運転するアルバイトに応募した。
免許は、持っていたから、簡単な面接ですぐに採用になって、さっそく次の日から出勤した。でもまだ僕と入れ替わりに辞める人が残っていて、フォークリフトの空きがなくて、僕はとりあえずパレットを修理する作業を命じられた。
パレットというのは、フォークリフトで荷物を運ぶとき、その下にひいておく台座のこと。こうゆうの。
パレットの材質は、強化プラスチックや木材など、いろいろあるけど、基本的には、二枚の板を重ねた作りになっている。そのスキマにフォークリフトのツメを差して持ち上げて、こうすれば、たくさんの荷物をいっぺんに運べるんだよ。
それから僕は、朝から大工道具一式を抱えて、廃パレット置き場へ毎日向かった。そして壊れたパレットの山から、一枚づつひっぱり出しては、トントンカンカン、釘をうった。
壊れたパレットは、 釘をぬいて取り替えて、また新しい板を付け直した。 中には、ひどく変形したもののや、ゾウが踏みつぶしたみたいに、ズタズタになったのも混じっていた。それはもう、修理をあきらめて、ご苦労様でしたと合掌しつつ、焼却炉行きのコンテナへ投げ込んだ。
その年の冬はとても寒くて、風よけのないパレット置き場は、小雪が渦を巻いて吹き上げていた。 コンクリートの地面は、鉄みたいに冷え切っていて、吐く息は白く、トンカチを持つ手は、ジンとかじかんで、軍手をしていても指先が痺れた。
それでも、重いパレットをひっくり返していると、シャツの下にうっすら汗をかくほどで、寒さはそれほど気にならなかった。
むしろ僕は、この作業が好きになっていた。誰もいない殺風景なコンクリート。無機質なパレットの山。その下で、ただ黙々と、板をはがし釘を打つ。
毎日、午後になると、パレット置き場を囲ったフェンスの遠くで、揃いのユニフォームを着た子どもたちの、野球をする声が聞こえた。
修理をはじめて三週間が過ぎたころ、野球のユニフォームを着た、五歳くらいの少年がやってきた。少年は、入り口のパレットに腰かけて、僕の作業を興味深そうに見ていた。
「野球、やらないの?」
僕は、トンカチを打ちながら、少年に話しかけた。
「やらない」
「なんで?」
「補欠だから」
「そっか。つまんないな」
僕が言うと、少年はすこしうつ向いて、それからこう言った。
「おじさんは、大工さんなの?」
「いや、リフトマンだよ」
「リフトマン?」
「そう。あそこで動いてるのを運転するよ」
僕は、遠くで旋回しているフォークリフトを指差して言った。
「乗らないの?」
「ああ、まだ乗れない」
「どうして?」
「うーん、準備中なんだよ」
「じゃあ、おじさんも補欠?」
「ああ、そう、補欠だ」
「おじさんも、つまらない?」
僕はその質問に、すこし迷ってから答えた。
「うん。つまんないな。君もちゃんと勉強しないと、こういう仕事をするハメになるよ」
そう言うと、少年はパレットから降りて、遠くのグラウンドへ駆けていった。
あのとき僕は、なんと答えるべきだったんだろう。いや、補欠だって、工夫次第では愉快に生きられるんだぜ、とか言って、サムズアップすべきだったんだろうか。
バカバカしい。そんなハズないじゃないか。
これからの時代は、フェイスブック的な価値観を掲げ、インスタグラム的なビジョンを見なきゃいけない。
じゃなきゃ、半分死んだように生きるのみなんだ。