僕のイメージする東京大学はディズニーランドと同じくらいファンタジーにあふれている。その証拠に東大の赤門とディズニーランドの正面ゲート映像は、同じくらいの露出頻度だ。この国のメディアはそれだけしか伝える力がない。
そして多くの日本人は、東大卒の人間に出会うことなくセミのような短い生涯を終える。しかしそれは人生における重大な機会損失かもしれない。なぜなら、彼らはとても優秀であることに加え、話をするだけで快楽を与えてくれる稀有な存在なのだから。
坂井君(仮名)と始めて出会ったのは、とあるデペロッパーとの交渉の場であった。 ちいさな体を適度にくたびれたスーツに包み、短髪をツンツンと逆立てた坂井君は、不思議な余裕を漂わせていた。その時は、まだ彼が東大出身だとは知らなかった。
僕が坂井君と話して感じたのは、頭の回転の早さはもちろん、相手が伝えたいことを瞬時に読み取る能力だった。これは会話が苦手な僕にとってすごく気持ちがいい。例えるなら言葉の通じない異国で日本人に偶然出会う感覚だ。
言語が持つ「意志の疎通」という役割は小さな一面でしかなく、真のコミュニケーションには快楽がある。そんなあたらしい世界を、東大卒の坂井君は示してくれた。
残念ながら、彼の属する企業と僕の利益は一度も交わることなく、むしろ相反する形に終始したけれど、利害から離れて個人的な会話になれば坂井君は本当に尊敬すべき人物であった。
一般人が目的地に向けてアリのように迷走するのに対し坂井君はとても的確でシンプルだった。すべての発言と行動が、中心(彼が所属する組織の利益)へ向けて、キレイに収束されていく。
繰り返すが、僕の利益には常に反していたから、彼がキレイに収束すればするほど、僕は追い込まれ押しつぶされていった。
そして僕の資本主義に対する挑戦は、失敗に終わった。 あまりにも無計画で実力も、そして覚悟も足りなかった。しかしチャレンジするのは良いことだ。それがどんなに未熟であったとしても、なにかしら得るものはある。
坂井君が東大出身だというのは、担当が変わってから知った。その企業は大手資本の完全子会社であったから、本社から出向で配属されていたらしい。
誰もが知る企業の本社採用のエリートが、なぜ20代で地方の子会社に出向になったのか。それとなく尋ねると 、奥さんの心の病が理由で転勤を拒んだのが原因らしい。いかにも坂井君らしいし、彼はそうなるべくしてなるように生れついていたように思う。
数年後、偶然つけていたテレビに坂井君が映し出されていた。なぜかペットホテルのPR担当としてテレビのインタビューに答えていた。
彼のキャリアになにが起こったのか分からないけれど、無名のインタビュアーに執拗に絡まれる坂井君は心なしか寂しそうに笑っていた。
あれからもう何年も経ってしまった。今頃どこで何をしているのだろうか。
ネクタイをしめるとき、カッターシャツの第一ボタンを外しておけば首の締めつけが楽になり、それでいてちゃんとしているように見える。これを教えてくれたのも坂井君だ。
僕はこのハックを使用するたびにいつも彼を身近に感じることができる。