「好きなことで生きていけ」とか「好きを仕事にしろ」とか言うけれど、いったい、どれくらいの人が、自分の「好き」を知っているんだろう。
僕は、まだ、見つけられてないよ。
好きな女の子のタイプや、性癖なんかは、本能的にわかったけど、仕事や趣味で、これが好きと断言できる理由を言えなかったんだ。
ところが昨日、とうとう僕も自分の「好き」を見つけられたんだよ。それはまるで、頭にかかっていたモヤモヤが晴れて、視界がクリアになるような、不思議な体験だった。
きっかけになったのは、この本。
3,000円もするから、ちょっと躊躇したけど、思いきってポチった。中身は、著者のグレゴリウスさんが、古い文献を調べて中世の人たちの職業を書いてある。
(文庫本と比較すると、その大きさがわかる)
パラパラ見ながら、僕ならどんな職業になれるかな、とか、ぼんやり空想してたんだよ。そしたら、ああ、そういうことなのかと、ストンと腑に落ちた。おぼろげな記憶が、小麦粉へ水を加えて固化するように、ギュッとかたまった。
それは「過去」なんだ。
過去と言っても、子供のころとか、学生時代とかじゃなくて、もっともっと、ずーっと昔。
海外ドラマなら、ゲームオブスローンズやヴァイキングの時代。小説なら、ディケンズの二都物語や、ケン・フォレットの大聖堂。ゲームなら、大航海時代やシヴィライゼーション、信長の野望とか、いろんな古い時代だよ。
これらに共通してたのは、歴史と乱世、そして、それが、とても古い時代であるということなんだ。
つまり僕は、13世紀〜18世紀くらいの、世界がまだ不確かで、曖昧で、今ほど科学で解明されていない、そんな時代が好きだったんだよ。
僕は、それをロールプレイしたくて、映画に没頭したり、本を読み漁ったり、ゲームに夢中になったりしていたんだ。
好きの先へ
だから僕は、現代の資本主義や、便利な情報社会に馴染めない。そんな時代だから、仕事もつまらないし、暮らしにも価値を見いだせなくて、無様に生きてきたんだ。しかし、それはもう、過ぎ去って失われてしまった過去なんだ。いや、失われてはいないけど、逆戻りして生きることはできない。
もちろん、人類や歴史の進化を否定したいんじゃない。今なら、ほとんどの病気を克服してるし、残酷な戦争や、不条理な死からも救われている。だけど、その安全と引き換えに、失ってしまったものもあると思うんだよ。
僕は、過ぎ去ってしまった、あの時代、あの世界の鼓動にふれて、生きてみたかった。
ともかく、自分の好きに気づいたことで、なにを書きたいのかもわかってきた。今は、古い時代の小説を書いてみたい。
ロードス島戦記みたいなファンタジーもいいけど、魔法や異型のモンスターが出てこない、もっと身近な、ありそうな冒険がいいな。
砂漠のバザールで、ラクダの毛皮を買って旅に出る。オアシスで休んで明け方の月を見る。けものの棲む森をぬけて、大きな湖のまわりをぐるっとまわって、キャラバンで西へ旅して、港から帆船で出港するんだ。
僕の宝物は、そんな過去できっと見つかる。