この2日間、一歩も動かずに瞑想をしていた。
その訳は、仕事でもプライベートでも、納得のいかないことがあって、そういう、やりきれない「怒り」や「不満」が、煮詰めたカレーのようにコポコポと泡立っていたから、それを鎮めるために。
いや、瞑想をしていたのはウソで、実はそのモヤモヤした、怒りや不満を、どうやって解決するか、いや、どうやって復讐してやろうかという妄想をずっと働かせていた。
仕事の方は、少々手荒になっても、僕の怖さを思い知らせてやろうと誓ったし、プライベートでは、僕に失礼なおばさんを、公衆の面前で罵倒してやろうと考えていた。
そしてとうとう最高の計画を思いついたんだ。
そのプランは、どちらもねりにねった名案で、実際に撃ち込めば、相手を叩き潰せる自信があるし、少なからずトラウマ与えられる自信もあった。
僕をあまく見て、僕をバカにした罰だ!
アイツらには天誅が下る。明日、正義の裁きを受ける。僕の手によって処される。
と、そこまで考えて、安心して昼寝をしていた。
そして、夕方、目を覚ましてみると、なにもかもがどうでもよくなってた。
悟りをひらいたというのかな。そんなことをしても、なにも変わらないと気付いたんだよ。
かつて、マハトマ・ガンジーは「あなたの望む世界に、あなた自身がなりなさい」と言った。僕もそれに近い感じの悟りが芽生えてきたんだよ。
結局のところ、他人をいくら変えても、自分自身が変わらなけりゃ、問題はつぎつぎに現れて、それこそ終わらないモグラ叩きになるんだ。
人びとは誰もが、僕をあまく見るし、僕をバカにする。
それを変えられるのは、僕がどうあるべきか、僕がどうありたいのか、ということなんだ。
僕が世界を変えられないように、他人も僕を変えられない。つまり、僕が揺らぐことがなければ、ナニモノにも僕を変えることは不可能なんだ。ざまをみろ。
僕はここに居るし、僕を誰も変えられない。
それが悟りなんだ。