寿司を出せば喜ぶと思われちゃ困る。
回転系の外食チェーンはもとより、スーパーへ行けば、そこそこクオリティの高いお寿司が、山のように並んでる。
僕にとって、お寿司はもう、当たり前の日常になってるから、よっぽど良い店じゃなきゃ高級じゃない。僕らは、安価で高品質なサービスに慣れすぎて、舌が肥えてしまったんだよ。
そこへもってきて、そこらの名もない仕出し屋のお寿司なんて、食べられたもんじゃない。シャリが固すぎたり、ネタの鮮度が落ちていたり…。
僕はもう、イヤというほど良い寿司を食べたから、沢山なんだよ。不味い寿司なんか食べたくない。贅沢に慣れてしまったんだ。
僕がまだ小さいころは、冷蔵庫も完全に普及してなくて、おばあちゃんの家では、ただの保冷庫に、Amazonのダンボールみたいな大っきい角氷を入れていた。
つまり、氷の冷たさで物理的に冷やしていたんだよ。だから、街には必ず氷屋さんがあって、氷を売っていた。何かを冷やすには、それくらい原始的な方法しかなかったんだよ。
何が言いたいのかというと、お魚の保存方法も、それらの物流も、圧倒的に進化したってことなんだ。
おかげで、海からどんなに遠くても、新鮮で活きの良い魚を食べられるようになった。
その結果がこれだよ。
ちょっと鮮度の落ちたお寿司を出されたら、文句を言うようになってしまった。
僕は、自分では謙虚な人間のつもりだったけど、環境が変わってしまえば、いくらでも傲慢になれるんだ。
ひとつ満足するたびに、それが満たされない不満を増やしていく…。
みんなだってそう。
気づかないうちに、どんどんどんどん、満足のハードルを上げていって、それが満たされなければ、冷酷な王様のように、最低だと断罪するんだ。
僕は、みんなが恐ろしいよ。満足に慣れきって、満たされないときにキレる、人間が恐ろしいんだ。
もっと自覚しよう。
今日、伝えたいのは、それだけです。