小学校の教室がざわついた節約

資源に乏しい島国の日本では、限りある資源を節約し、有効に利用しなければならない。要約するとそんな主旨のことを、斉藤先生は仰った。

仰った(おっしゃった)なんて、畏まった言いまわしをしたけれど、それは無論、現在の僕で、当時の僕には、センセーがそんなことを言ってた、くらいの認識しかなかった。

それでも、その課題を家へ持ち帰り、今は亡き母へ、しっかりと伝えたことは、評価されて然るべきだろう。

「ママ。センセーがね、うちでやってる節約をおしえてほしいって。あしたみんなで発表するの」

僕はそう言って母を見上げた。

「そうね…。これはどうかしら?
古くなったパパのシャツを、雑巾にして再利用しているわ」

言うと母は、卓袱台の下に丸めてあった、片面がコーヒーの染みで汚れた、白い木綿のシャツをつまみながら言った。

そうか。使用する量を減らすのではなく、使い古したものを、別の形で再利用する。それもひとつの節約のカタチなんだ。

僕は、新しい宝物を発見したような気持ちになって、とても嬉しかった。やっぱり僕のママは世界一だよ。



翌日、学校へ行くと、みんながそれぞれの家庭の、それぞれの節約を発表していった。僕も、着古したシャツを雑巾にして使う、というアイデアを発表して、斉藤先生に褒めてもらった。

他の子たちは、穴の空いた靴下を靴磨きにするとか、ベルマークをあつめるとか、お風呂の残り湯を洗濯に使うとか、いろいろ発表していった。

ベルマークを節約に加えていいものか、すこし疑問に思ったけれど、学校の経費を減らすという観点からすると、広義の節約にはなっているのかも。

こうして、僕らがひとつ節約を発表すと、斉藤先生が手放しで褒めちぎる、という図式で、3年四組のクラスは、和やかな雰囲気に包まれていった。

ところが、最後に発表した渡辺さんの節約が、節約に酔っぱらったクラスをザワつかせた。

「私の家の節約は、使い終わったティッシュペーパーを乾かして使うことです。カゼをひくと、たくさんティッシュペーパーを使ってしまいますが、それを乾かして再利用すれば、節約になります!」

僕が斉藤先生見ると、先生も硬直していて、クラスには、小さなザワつきが波のように広まっていった。そして、誰かの発した「えー…汚ぃ…」というつぶやきが、節約の美徳に潜む、貧乏や不潔というような、負の側面をあらわにしてしまった。

斉藤先生は、ことさらに大きく手を叩いて、渡辺さんの行為を褒め称えてみたけれど、ザワつきが止む気配はなく、渡辺さんはうつむいて鼻をすすり、泣き出してしまった。

ティッシュペーパーを乾燥して再利用するのは、不潔なのかな。乾燥したら、カゼのウイルスは死滅してくれるのかな。いや、本人しか使わなければ、伝染る心配はないからいいのでは…。虹のように交錯する可能性のなかで、僕の心は小枝のように揺れていた。


その後、授業はゴング、いや、チャイムの音に救われてお開きになったけれど、僕のなかでとても印象に残る出来事になった。


今日は、ここまで