読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

マニュアルなど無いと心得ろ

たまには仕事の話しでもしようかな。

僕が仕事の「マニュアル」という概念を意識したのは高校生のとき。15歳の春だった。

スーパーでアルバイトをしていた僕は、夕方から夜までの勤務だった。そして夜間の責任者は、高齢のおじいさんがやっていた。

だから、新人アルバイトが入ると、作業手順は、そのおじいさんが教えていたのだけど、これがまったく要領を得なかった。

出勤してタイムカードを押したら、レジの引き継ぎをして、特売の値札を外して、賞味期限のチェックをして、という具合に、いちいち説明していくのだけど、とにかく時間がかかる。

そしてけっきょく、新人のアルバイトは「ところで最初は何するんでしたっけ?」みたいになって、僕がまたイチから説明をするはめになっていた。

一度にぜんぶ説明したって覚えきれないんだから、新人アルバイトには手順を紙に書いて渡せばいいのに、と思ったのが、僕のマニュアル人生のスタートだった。


f:id:cild:20160404102450p:plain


その後、僕は社会人になって、いろんな仕事を転々としたのだけど、新しい仕事に就くたびに、自分でマニュアルを作っていた。

やるべきコトをメモって、ポケットに突っ込んでおけば、おなじことを何度も聞かなくてすむからね。

僕が就職できるような、学歴不問で未経験者歓迎の職種では、それだけで充分だった。


理不尽な時代の流れ

しかし、僕のやり方は、やがて時代に全否定されることになる。

僕が6つめの会社で働き始めて、2年が経ったある日のことだった。

僕が新しく入ったパートさんに、仕事の手順を丁寧に説明していたときである。

「マニュアルないんですか?」

ひとが親切に教えているのに、そんな暴言をぶつけられた。

「はぁ?何を言ってるんだ?」僕は内心、そんなもん自分で作るのが当り前だろ…ガキじゃあるまいし、と思ったけど、その場は、引きつった笑顔で撤退した。そして仕事が終わってから、急いで家にかえってインターネットを見た。

僕は自分の目を疑った。

マニュアルは作るのではなく、会社から与えられるのが当然、みたいなことが書かれていたのだ。

つまり、僕が当り前だと思っていた「マニュアルは自分で作るもの」という感覚は、みごとに否定されていた。

どうやら、コンビニのマニュアル化の影響で、マニュアルは自分で作るものではなく、会社から与えられる物になっていたようなのだ。

つまり、こうだ。

本部(マニュアル作成)

オーナー

従業員

アルバイト

コンビニでは、本部がオフィシャルのマニュアルを作成して、それを順番に引き継いでいる。この方式に世間が慣れると、マニュアルは作るものではなく、与えられるものになってしまう。

しかし、今更それはないと思う。僕がマニュアルを作るのは絶対におかしい。

つまり、こうだ。

会社(何もしない)

僕(※マニュアル作成)

アルバイト (何もしない)

どう考えてもおかしいだろ。

マニュアルを作るコストは、会社が負担するべきなんだよ。なんで従業員の僕がタダ働きしなきゃならねえんだ。

しかし、もう時すでに遅しだ。本部の連中は現場での具体的な作業なんか、これっぽっちも理解しちゃいない。

もしも僕が、マニュアルを作るという話しを上げても、そっちでやってくれと突き返されるのがオチだ。

ちくしょう。作らんぞ…。そんなもんは作らんぞ…。

だから、僕は、自分が会社を辞めるときには、マニュアルをすべて捨てるつもりだよ。なぜなら、それは与えられた物じゃなく、僕が作った物なのだから。

それが僕の社会に対するささやかな抵抗なんだ。