ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

ひっそりと営業中

やあ。みんな元気?

こっちは、お盆休みで温泉に行ったりして、わりと元気だよ。人生いろいろあるけれど、クヨクヨしてもしょうがないもの。

このブログの更新について、ふたつの意見があると思う。ひとつは、やっぱり帰ってきてくれた、という前向きなものと、止めると言ったのになに書いてんだよ!というふたつがさ。

もしも、後者の気持ちだったら、まず落ちついてほしい。何を言いたいのかはわかるけど、ひとまず落ちついて、僕の話を聞いてほしい。

もしも今、僕の更新に怒りをおぼえているとしたら、それは期待しすぎてしまったんだね。

冷静になるには、まず、"基本、他人に期待しない"というスタンスが大事なんだ。冷たいと思うだろうけど、これで悩みの9割は解消する。

つまり、苛立つ理由は、他人を自分の思い通りにしようとするから。ここでは「僕に有言実行させたい」という、自分本位な気持ちがあるからなんだよ。

でも、人というのは思い通りにならないもの。だったら最初から期待しなければいい。ぜんぜんイライラしないよ。いつも余裕しゃくしゃくでいられる。


立っていなかったフラグ

フラグって意味わかるかな。元々は謎解きゲームとかで、ストーリーを進行させるアクション(凶器の鈍器を見つけるなど)をフラグと呼ぶんだ。

ところで、僕のブログに終了フラグ、立っていたと思う?

ぜんぜん立っていなかったよね。

僕がやめると言ったとき、黒猫もよぎってないし、マイホームも購入してない。子どもたちも待っていないし、鏡も割れてない。重要な書類にサインすると約束してないし、地球を救う方法も思いついてない。

ケネディを暗殺してないし、大事なものを渡さずにポケットに入れたまま、イギリス英語もしゃべってない。

つまり、僕は、死亡フラグなんて、なにひとつ立てちゃいなかったんだ。

世界中のコンテンツに共通するロジックとして、死亡フラグがある。だから、フラグも立っていないのに、終わると思っちゃいけない。

オーケー?


コンテンツは終わらない

僕がブログというコンテンツをやめようとしたとき、思ったんだよ。

個人的には、終わったかどうかを、なんで僕が判定しないといけないんだと、思ってやまなくなった。僕はコンテンツ終了判定委員会の委員長でもないし、ブログ終了村の村人でもないもの。

元来、コンテンツを消費するのは、基本的には「一人の体験」なんだよね。みんなで同じコンテンツを楽しむ、同じコンテンツについて語り合うというのは勿論楽しい。

でもそれは「コンテンツとの一対一の対面」があるから成立する楽しさなんだよ。だから、コンテンツに対する自分の評価というのは、自分だけのものであって、人がどういっていようが顧みる必要ない。

うるさーい。このブログが楽しいかどうかは、僕が決めるんだー。口出すんじゃなーい。


って話なんだ。


だから、自分が愛好しているコンテンツに対する「オワコン」などという言葉、意識しなくていいんだ。

みんなだって、辛い気持ちになったら、止めたい、もう続けられない、という気分になることあるよね。

誰しもあることなんだ。

その言葉尻りをつかまえて、再起したひとに「このまえ止めるって言ったよね? 言ったよね?」なんて、文責を求めるのはやめよう。ナンセンスだよ。

つまり、僕が再びブログを書いてもセーフってことなんだ。むしろ、感動の再会くらいに、抱きしめて喜ぶべき。行方不明だった恋人が、奇跡の生還を果たしたときくらい、狂喜するんだ。

ここから、また伝説への一歩を踏み出そう。


ありがとう。

ありがとう。


僕はここにいるよ。