先日、幼なじみの女の子がこっち(福岡)に来るから、30年ぶりに僕は彼女と会うべきか、会わないべきか、という、ひとり相撲に取り組んでいるとお伝えしたよね。
会わないことにした。
理由はひとつではないけれど、一番大きいのは、なにを着ていけばいいのかわからない、ってことなんだ。
それは、革靴でいくかスニーカーいくか、というような単純なことじゃなくて、もっと根源的な問題なんだ。
幼少期の僕は、えりの詰まった服や、生地の硬い服を着ることができなくて、いつも同じ、柔らかいトレーナーとズボンをはいていた。
毎日それを着て、泥だらけになるまで遊んでいたから、その服は、洗濯してもヨレヨレで薄汚れていた。それでも僕は、一切、他の服を着ようとはしなかった。
そんな僕が、今じゃ、ブルックスブラザーズのシャツにジャケットをはおって、ピカピカに磨いたビルケンシュトックの革靴をはいている。
あの少年にくらべたら、今の僕はとても弱い。
ドロんこの水たまりや、砂場に躊躇なく踏みこんで、ひたすら前進して、笑顔でピースサインしていた少年は、ボロボロの服を着ていても、全力で輝いていた。
それが今じゃ、水たまりを避けて、小さな声で不平不満をつぶやいて、服がホコリで汚れるのを気にしながら生きている。
そんな僕が、今さらなにを着て彼女に会えるというんだ。
「わぁ、チルちゃんがちゃんとした服を着てる!大人になってる!」
とでも思われたいのか。
僕の過去と現在につづく道は、どこかで途切れてしまって、来た道を引き返しても、もうあの場所には戻れない。きっと、幼く可憐だった少女にも、もう会えやしないんだ。
お互い、生身の人間なんだから、変わらずにいられないなんてことは、わかってるよ。人は誰しも年老いて不変ではいられない。
だけど、もし会っても、僕はその意味をずっと考え続けるんだろう。
もしかしたら、今は離婚していて、子供もいなくて独り身なんじゃないか。だから博多のコンサートへ遊びに来れたんじゃないか。
もしかしたら、僕に会いたくて来てくれたんじゃないか。
そう思う伏線はいくつかあって、実は、6年まえと15年まえと20年まえと25年まえに、一度づつ会っているんだよ。そして、6年まえに会ったときは、結婚していたんだ。
旦那は、悪いヤツじゃなさそうだけど、彼女を縄で縛りそうな目をした男だった。
だけどもう、終わりにしよう。
本当に、なにを着ていけばいいのかわからないんだ。
人の数だけ、ストーリーがある。