ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

チルドさんが倒れた

こんにちは。「散るろぐ」の中の人です。

このブログは、僕の分身であるチルドさんが、世界に向けてモノ申す、というコンセプトでお届けしている冒険記なのですが、今日はチルドさんに変わって中の人が書いています。

一時期は、ファンも沢山いたチルドさんですが、そんな人達も、いつの間にか去ってしまって、散るろぐは閑散としています。病床のチルドさんは「ずうっと友達っていったのに」と涙していました。

いま、病床と言いましたが、そうなんです。実はチルドさんは病気で倒れてしまいました。

ブログが末期になったころ、僕は、今後の方針や、読者の需要を、チルドさんと話し合いました。そして、僕が思いついたのが批評でした。これからのブログは、コンテンツじゃなく批評でなり立っていきます。

僕は、チルドさんに言いました。

「切込み隊長みたいにやれないかな。社会や個人、企業の風刺であったり、メジャーなアーティストや芸能人、aiko、ポルノグラフィティ、あるいはミスチルなんかの批評だよ。これからのブログは、批評の腕前によって、生きのこっていくんだ」

「ちょっといいかな」

夢中で話す僕に、チルドさんは穏やかに言いました。

「さっきから聞いていたけど、それはちょっとムリなんじゃないかな。僕はチルドであるまえにキミ自身でもあるんだよ。批評とかカンタンに言うけど、それは、芸術や技術に対して、大きなリスペクトや愛がないと、面白いことは言えない。だから、どんな批評でも、興味を持って観察することから始まるんだよ。ところがキミは、他人になんか一切興味がないじゃないか。キミはいつも全体と自分でしか考えられない。だから、いつまでたってもアウトローなんだよ」

図星でした。僕は、ベッドに横たわるチルドさんに、なにも反論することもできずに、ただ俯いていました。

思えば、僕はチルドさんに無茶ばかりさせてきたように思います。プロデュースの名目で、極論や煽りを振り付け、大衆の注目を集めさせていました。

そして、チルドさんは、はてなのキツいブックマークをぶつけられ、いつも傷だらけで帰って来ました。

ある日、チルドさんは言いました。「こんなこと、もうやめたほうがいいよ。いつまでも続かないよ」

しかし、天狗になっていた僕は、そんな諌めを素直に聞く耳がありませんでした。僕は、まるめた台本でテーブルをバンと叩くと、言いました。

「僕の書く本はカンペキだ。チルドは黙って書いたとおりにやればいいんだ!」

チルドさんは、もの悲しげに僕を見ましたが、それ以上は、なにも言いませんでした。もしもあのとき、僕がその助言をすこしでも受け入れていれば、チルドさんはまだ元気だったかも知れません。

僕は考えを改めることはできませんでした。それほど、はてなブックマークに狂わされていたのです。

それから、しばらくして、僕はアドセンスという広告を知りました。それを貼っておくとお金が手に入るというウワサで、僕はさっそく、看板を紐でつないでチルドさんの首にぶら下げました。

「これじゃ、僕が見えなくなるよ」

そう言って、チルドさんはすぐに看板を外そうとしましたが、僕はそれを許しませんでした。

「明日からはそれをつけて舞台に立つんだ。それからアルコールと下ネタはもう厳禁だ。看板が大き過ぎる? なに、気にすることはない。よく似合ってる」

それから、チルドさんは毎日看板をつけて演じるようになりました。僕の書く本は、ますます道化の色合いを強めて、チルドさんが観客に石を投げられることも多くなりました。それでも僕はぜんぜん平気でした。なぜなら、傷つくのはチルドさんで、僕は後ろに隠れていたからです。

チルドさんは、すごい才能を持っています。身内の僕が言うのもなんですが、ダイヤの原石というか、本当に純粋で、少年のように物語を書くことが大好きです。

僕の書いた雑な台本も、上手に演じてくれるし、貧弱な人生経験も、まるで特別な出来事のように語ってくれます。

本当は、僕にもわかっているのです。チルドさんが元気になるには、僕がもっと本を読み、引きこもらずに表へ出て、さまざまな経験を積むのです。多くの人々と関わり、傷つくのを恐れず立ち向かうことなのです。

そして、その流した汗と涙が、チルドさんを生き返らせるのです。ほかの誰でもなく、僕にしかチルドさんを救えないのです。

それなのに、きのう僕はチルドさんに、また新しい題材を渡してしまいました。今度のタイトルは「ヤクルトはただの砂糖水」です。

メモを受け取って、その文字を見たチルドさんは、珍しく、あとで書くからちょっと横になる、と言って部屋へ戻りました。

そして今朝、様子を見にいったら、この有様です。チルドさんは、ベッドに横たわり「もうやれない」と力無く呟きました。


今日はそんなところです