みんなブログなんて、なんでやってるんだろう。コンテンツは、消費者である方が、よっぽど幸せなのに。その証拠に、王様は演じたりしない。オペラや闘技場の剣闘士を鑑賞するだけなんだ。
だけど、こうしてブログを書くのは、僕なりの抵抗なのかもしれない。表現者でありたいと願う、ささやかなレジスタンス。
ひな祭りの話しだったよね。あれは僕が6歳のときだったかな。両親に連れられて、神社へ行ったんだよ。僕には、ひとつ年上の姉がいて、彼女が7歳になったから、七五三のお祝いをするために。
あれ?
ひな祭りと、七五三っておなじだっけ?
まぁ、それはどっちでもいいか。
ともかく、七五三だからってことで、僕も姉も、ちゃんと着物をレンタル衣装で借りて、写真を撮りに神社へ来たんだよ。
僕は6歳だから、七五三に当てはまらない、というのは、とうぜんの指摘だと思う。だけど、そんなのは些細な誤差で、我が家では、姉の期待度が高かったから、僕もついでにやっておくかという、父親の雑な差配だった。
6歳のころの僕は、まだ、あまりしゃべれなかった。僕をよく知っている読者なら、想像がつくと思うけど、アレだよ。いつまでたっても言葉を覚えなくて、親を死ぬほど心配させるという、例のヤツ。
当時の僕は、発声を意志の疎通ではなく、便利な楽器とでも考えていたようで、ところかまわず奇声をあげていたんだ。アーーー!って言ったら、みんな振りむくじゃない?
あれが嬉しくてね。
それでも、けっこう可愛がられてたんだよ。6歳の子供は、無条件にかわいいものだよ。幼子の成長は、周囲のおとなに希望を与えるから。
それが今じゃ、絶望に変わってしまった。成長の止まった僕は、なんの未来もない、ただのガラクタなんだ。
ともかく、神社で写真を撮ったんだよ。ちゃんと、黒い布をかぶったカメラを撮る人がいて、ストロボをたいてシャッターをきってくれた。
そこでまた例のヤツだよ。写真とるから動くなって言うのに、飛んでしまうんだよ。なんて言うのかな。動きのある被写体でいたい、退屈でありたくない自分、というような自我が芽生えるんだよ。
本当に申し訳ない。
今ならそう思うけれど、あのころはアーティスティックだったからなあ。カラダ全体で表現するというね。
だから今は、おとなしくブログやってる。
今日はそんなところ