かつてこれほど明確な「No」を突きつける機能があっただろうか。
きのう僕は、生まれて初めて、Twitterのブロックを経験した。理由は些細なことだった。いや、些細だと思ったのは僕だけで、相手にとっては些細ではなかったからこそ、ブロックという札を切ったのだろう。
彼とは、2年ほど前にブログを通じて知り合い、割りとフランクに、DM(ダイレクトメール)をやり取りするような仲だった。
それが突然「さようなら」という言葉を残して去ってしまった。いや、去ってしまったというのは正確ではなく、隔離されたと言うのが正しい。
そして、隔離されたのは僕だけで、ほかのユーザーとは、依然として、何事もなく繋がっている。
Twitterのブロックはとても静かに機能する。バタンと扉を閉める拒否でも、ガシャンと格子を下ろす拒絶でもなく、舞台の照明がスッと落ちるように見えなくなる。
残ったのは、感情のないアイコンと『今後このユーザーにメッセージを送信することはできません。』という、無機質な言葉だけだ。
ベテランのツイッタラーからすれば、ありきたりな話しで、ブロックをもっとカジュアルに捉えているのかも知れない。また、ブロックされても、それをかいくぐってツイートを見る、何かしらの方法もあるのかも知れない。
しかし、それも承知でブロックするのだろう。
Twitterのブロックは、物理的にブロックするためにあるのではなく、ブロックという意思を相手に伝えるために存在するのだ。