今日は、更新の予定はなかったけど、どうしても吐き出さずにはいられない、悩みを打ち明けるため、キーボードを叩いています。
その悩みとは、オナラについてです。
実は今年の正月を過ぎたころから、自分のオナラを、自力で消すことができなくなってしまいました。
勘違いしてもらっては困りますが、オナラを消せなくなったと言っても、オナラそのものを消したり、臭いをろ過できなくなった訳じゃありません。
「音」を消せなくなってしまったのです。
通常であれば「バフェ」「ブホ」などが、自然ですが、静音性を求めるときは、肛門に調整を与えることで「す~」と、していました。
ところが、元旦の朝からというもの、いくら工夫をこらしても、「音」を消せないのです。
自分なりに努力はしました。
放屁の予感がするたびに、腹圧を加減してみたり、肛門をすぼめてみたり。
しかし、一向に改善の気配がありません。
それどころか、音はますますひどくなる一方です。挙句には、今までどうやって音を消していたのか、いくらお尻をひねっても、思い出せなくなってしまったのです。
いま、笑ったひとは、今すぐこの部屋から出ていってください。人が真剣に話しているときに笑うとは、何事ですか 。
いいですか。つぎに歯を見せたらこうですよ。
そう言って僕は、お尻を突き出し、パンッ!パンッ!と二度、臀部を強く叩いてみせた。
続けますよ。
肛門をすぼめた
音を消せていた時代の記憶をたどってみると、やはり射出口に工夫を加えていたように思います。そこで、放屁の予感を感じたら、しっかりと肛門をすぼめてみました。
ところが音は消えません。「クゥー」という怯えた仔犬の鳴き声が、ハッキリと聞こえてしまいます。首尾よく仔犬が近くにいれば、頼りない弁明は出来るでしょうが、音を消すという目的からは、遠く離れてしまいます。
全開にしてみる
閉めてもダメならあけてみな、ということで、今度は両手で思いきり拡げてみました。すべての楽器に共通する原理は、これすなわち摩擦です。摩擦さえ起こさねば、メロディは奏でられないのです。
放屁の予感が確信に変わるとき、僕は両手でめいっぱい肛門を拡げてみました。「バフン」それはまるで、つまらない雑誌を、デスクへ乱暴に投げ出したときのようでした。
怒りに満ちた、その音は、人を振り向かせるだけの威厳すら備えています。これならまだ、やらない方がマシです。なぜでしょう。理論では説明できない大きなチカラが働いているようです。
腹圧をかけてみる
いよいよ最後の手段を取らざるを得なくなりました。腹圧をかけて、細く長く吐き出す方法です。気体を少しづつ出していけば、一気に出すより音は遥かに小さくなるハズです。
それでもオナラは、奏でるのをやめようとしません。「クゥー」が「クゥーーーン」へ、「バフン」が「バババフン」へと、音量はそのままで、むしろデジタルな音響効果を追加してしまったのです。
集合知に賭ける
僕がなぜ、ここで、こんな記事を書いていると思いますか?
賭けてみたんです。
みなさんの知恵に。インターネットの集合知であれば、あるいは、この音を消す方法があるのではないか。そんな一縷の望みを、みなさんに託したのです。
チカラを貸してください。ブックマーク、ツイッター、あるいはG+、フェイスブックだって構いません。
それらに、あなたの一票を投じることで、オナラを消せなくなった、この哀れな魂を救ってください。
どうか!どうか、オナラを!