発達障害は理解するけど、他人へ理解しろってのは違う

おはようございます。

先日、ツイッター界隈で、発達障害について意見が交されていました。

こちら、一連のツイートを興味深く読ませてもらったのですが、違和感というか、ちょっと甘え過ぎじゃないの?と、感じたので、その辺りを少し。

発達障害の場合、忘れ物しやすいので、教育現場では、発達障害のこどもを、忘れ物で叱るのはよくない、ということでした。

これは、まったくその通りで、教員の方々にも、そうゆう人もいるんだなー、という知見を広めて、努力が足りないとか言わないようにして欲しいと、僕も思います。



一方で、じゃあ、本人たちはどうなのという話です。僕が引っかかっていたのは、例えば、会社勤めになって、大事な会議に、肝心な資料を忘れたら困りますよね。「わりぃ、忘れた。オレ発達障害だから」では、解決しないと思うんですよ。

つまり、忘れ物しやすい自分を受け入れて、なんらかの対策を、自分で考えないといけない。それが努力だと思うんですが、いかがなものでしょう。

「小僧がなにを偉そうに」

…そう思われるかも知れません。でも、僕がこの話題について、書こうと思ったのは、僕自身が発達障害っぽいからなんです。

誰かの診断を受けた訳じゃないですが、10歳くらいまでは、座ってるいること、人の話を聞くのことが、とにかく苦手で…。頭をバシバシ叩かれていました。あと、忘れ物も多かったです。

忘れるというか、怒られても、それの必要性を微塵も感じないんですよ。僕にとっては、ぜんぜん重要じゃないというか…。

まぁ、あまり良い思い出じゃありません。

でも、ほかの発達障害の人って、才能、秘めてるんですよ。絵が上手いとか、小説書けるとか、音楽センスあるとか、集中すると三倍の速さで動けるとか、勉強ができるとか、ゲームが超絶に上手いとか。

なにかしらの能力あるんです。浮き沈みありますけど、場合によっては、調子いいときの董卓くらいに無双するじゃないですか 。

ところが、こっちは無いんスよ。

僕のほうは、発達障害っぽいのに、秀でた才能もなければ、集中力もない。繰り返し作業とか、今でもウワァー!!っとなるんです。得意なのは、自分の殻に閉じこもることだけ。

最悪じゃないスか。

協調性や社会性が無いかわりに、とうぜん受け取るギフト(才能)を、僕はもらえてないんです。

あんまりじゃないスか。

これじゃ、ただのバカじゃないスか。

要するに、こちとら相当きびしい戦い強いられてるってことです。

それでも、人様の情(なさけ)なんか受けませんよ。他人様にすがって生きるなんざ、まっぴらご免です。

発達障害、いろいろ大変でしょうけど、越えて行きましょう。上等じゃないですか。理解されないなんて、泣き言はやめましょうよ。こっちには、こっちのやり方があるじゃないですか。



じゃあ、行ってきます。