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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

エア遊具があらわれた

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きのう、いつものコースを走っていたら、広場にエア遊具が設置されていた。

大っきい風船を空気で膨らませて、なかで飛びまわるという原始的な遊具なのだけど、僕が子供のころは、未来感あふれるスペシャルな遊び場だった。

ある日とつぜん、近所のスーパーの空地に巨大な怪獣があらわれる。しかもその中に入れる。僕の興奮が頂点に達して、狂ったように飛び跳ねたのはご理解いただけるだろう。

当時は、まだファミコンも発売されていなくて、遊び道具と言えば、ベーゴマやメンコ、自転車の無謀運転くらいしかなかった。

そんな時代に現れた、このエア遊具は、僕の心をガッチリとつかんで離さなかった。

フワッフワッのトランポリンに、全体重をのせて飛びこみ、大きくはねあがる。側面に全力で体当たりして、弾かれて転ぶ。満面の笑顔で、縦横無尽に駆けまわる僕は、幸福な子どもだった。

今となっては、なにがあんなに面白かったのか、理解に苦しむばかりだけど、沸き立つような感情の記憶は、まだ薄っすらと残っている。

だからといって、日常生活が、それほど抑圧されていたのか、といえば、そうでもなかった。

しかし一方で、現代ほどセーフティネットが発達していなかったから、周りの大人たちも、けっこう口うるさく注意していたように思う。

田舎の小学校では、ひとクラス30人のうち5〜6人は、過去にクルマにはねられたか、もしくは自転車ごと吹っ飛ばされた経験があった。

僕も自転車で、車道にハンドルを切ったとき、通りかかったセダンの側面に接触したことがあった。カゴのない自転車の、むき出しのフレームが、クルマのボディを引っ掻いて、盛大な火花が散って仰天した。

幸い、転んだだけでケガもなかったけれど、もしも引っかかりどころが悪く、そのまま引きずられていたら、命はなかったかも知れない。

道路はばも狭く、信号のない交差点も数多くあったから、たとえ子どもでも、自分の身は自分で守る意識がないとキケンな世の中だった。

久しぶりに見かけたエア遊具では、あの頃の僕とおなじように、子どもらが、元気に飛び跳ねていた。中には、わけもわからず押し込まれ、目をまわして座ってしまう女の子もいる。そんな子は、さながら嵐に飲まれた小舟のようだ。


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ビニールの透明な窓から、大人たちが、心配とも喜びともつかない、複雑な表情で中を見ている。はしゃいで飛びまわるわが子に、両親はなにを想うのだろう。

子供のいない僕には、それがわからない。