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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

またひとりぼっちになった

インターネット

「あらゆるユーザー、あらゆる情報にアクセスする」

それは僕が、インターネットを始めて以来、十数年間、貫いてきたポリシーだった。しかし、それも、もう過去になってしまった。

僕は一部のユーザー、一部の情報について、フィルターをかけてしまった。そこにある物が、あまりにも見るに耐えられなくなってしまったから…。

長年、習慣にしていたポリシーを捨てると、不覚にも泣いた。ひとつの事実に僕自身が結論を出してしまったからだ。その理由について、僕なりの考えを述べる。


嫌な物を見る。あえてね

僕にとってのインターネットは、大げさに言うと、世界の本質を知る旅でもあった。国境の枠組みを越えて、誰もが、いつでも、あらゆる情報にアクセスできる、それが、World Wide Web の理念なんだよ。

だから、僕は、インターネット上のユーザーと、インターネットに散らばる情報を、何よりも大切にしてきた。そして、何があってもこの目で見続けようと誓った。それが、たとえ自分にとって不都合であっても、不愉快であっても、180度違う考え方であっても、同じ時間軸に存在する個性として見続けた。

しかし、もうドアを閉めることにした。

インターネットが、あまりにも現実社会とシンクロして、もう僕が知っていたインターネットではなくなってしまったから。


埋もれた声

僕が始めたころのインターネットは、声の小さい者の拡声器だった。世間では、かき消えてしまう小さな声。声にすらならなかった想い。

極めつけの悪意と、そして善意が垂れ流される混沌に身を任せ、耳を澄まし、肌で感じ、その流れから、自分とは何者なのか、いつも知ろうとしていた。

それが、ある瞬間から、インターネットが現実を拡張するためのツールになってしまった。現実社会で強い者はさらに強くなり、ある者は、インターネットを自己実現のための拡張ツールとして利用し始めた。

そして、埋もれてしまったのは、インターネットを心の拠りどころにしていた者達だ。

信じてもらえないかも知れないけれど、僕には、嫌儲について、その気持ちが痛いほどよく分かる。

嫌儲は、嫉妬や誰かが儲けるのが嫌いなんじゃない。弱者ばかりのこの場所は、絶好の狩場にもなり得る…。それを、業者じゃなく、ユーザーがやり始めたこと、または、ユーザーを装った業者が現れたことに、言いようのない悲しみと憤りがあったんだ。

あまりにも私利私欲に塗れたインターネットは、僕の中で現実社会とおなじ場所になってしまった。

その結果、今まであえて見続けてきた、ユーザーや情報へ、アクセスすることに耐えられなくなってしまった。

つまり、インターネットでも、現実社会と同じように、極力、人付き合いを避けて、穏やかに暮らすという選択を余儀なくされてしまったんだ。


嫌なら見なきゃいいは本当だった

もう、見るのを止めようと思ってから、そこへ至るリンクを消した。しかし、そうしたところで、何らかの拍子に目に入ってしまうのだろう、そう思っていた。

ところが、今のインターネットのフィルタリングは、恐ろしく強固だった。

よく耳にしていた「嫌な情報が勝手に目に入ってくる」と言うのはウソだ。もしも見えているなら、それは、文句を言いたくて、わざわざ見ているか、インターネットの使い方を知らないかのどちらかだ。

現在は、適切にフィルタリングをかけると見ることができない。まるで、そのユーザーや情報が、初めから存在しなかったかのように、きれいサッパリ、消えてなくなってしまう。

もうインターネットは、自分から望まない限り、見たいものだけを見る世界になった。現実社会にある壁が、インターネットにも大きく立ちはだかっている。

ひくい道 そこを歩くよ わたしたち
高い土手の向こう 見たことなくても


インターネット以前の世界

高度に進化したインターネットは、僕たちが好んで集まった、アナザーワールドではなく、拡張された現実社会になった。それはまるで、撤去されてしまった、秘密基地の残骸みたいに、僕の目のまえで、風雨にさらされて朽ち果てている。

インターネットを介して、現実を見る場所は死んだ。僕たちのアナザーワールドは、現実社会の、金や権力、同調圧力の虚構に敗北したんだよ。

そして、僕の居場所は、インターネット以前のように、ゲームや書物の仮想世界しかなくなってしまった。

かくなるうえは、ひっそりとブログを書き、ゲームという名の部屋にこもって、コミニュケーションを避けて暮らす。

またひとりぼっちになった。