散るろぐ

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美しさの対極に見るプライベート公開の難しさ

こんちは。チルドです。

タイトルを読んで、この子はまた何を言い出すんだろう、なんて心配になったんじゃないかな。ちょっと大仰になってしまったけど、それほど難しい話しではないから、落ち着いて聞いてほしい。

http://www.flickr.com/photos/32925661@N00/4248708384
photo by laurasunnies

ひとり暮らしのお部屋公開

インターネットを見ていると、自分の暮らしぶりや持ち物なんかを公開して、人気になっているひとを見かけるよね。

それを見て、僕もやってみようと思ったんだよ。だって、ふつうに生活してる様子をパシャりして、ネットにアップしたら、それだけでコンテンツになるなんて素敵だよ。簡単そうだし。

ところが、それは違ってた。

まず、プライベートを切り売りするのに抵抗がある。自分の部屋の中を適当にパシャパシャ撮るんだけど、どうもアップする気にならない。ここは僕のテリトリーなんだという、安っぽい自我がとつぜん目覚めて冷めちゃうんだよ。

それに、なんだか美しくない。僕のカメラの画質やテクニックもだけど、適当に散らかって、チープな布団がのっぺりと敷かれている、侘びしいひとり住まいは、汚くはないけど、美しくもないんだ。

2種類の美くしさ

じゃあ、美しくあるためには、どうすればいいのかなって思うんだけど、それには2つある。

ひとつは、高価に飾り立てること。おしゃれなインテリアであったり、可愛い雑貨なんかをパシャりして「いいね!」をもらうんだよ。

近ごろのインターネットはポジティブだから、よっぽどじゃなきゃダサいなんて言われない。

そしてふたつめは、飾らないこと。とにかく余分な物を置かずに、シンプルさでアピールするんだよ。素材そのものの良さって言うのかな。なにも持たないのが、逆に美しいというか。

対極にある美しさ

つまり、インターネットにアップして「いいね!」をもらうには、セレブリティかミニマリズム、そのどちらかに、思い切り振れていた方がいいってことなんだよ。

僕が自分の部屋を公開することに、後ろめたさを感じたのは、中途半端に散らかった、現実的な生活に、自分自身が夢を見られなかったからだと思う。

これは、女性の美しさにも通ずるところがあって、それなりに上質な物を身に着けていれば、色使いやスタイルに美しさがあるし、いっぽうで、産まれたままの姿には、問答無用の曲線美がある。

さまよえるブログ人

僕が、こんなことを考えてしまうのは、ブログ人たちの影響なんだよ。彼ら、彼女らは、インターネットという、不確かなゆらぎのなかで、ある種の写像として息づいている。


はぴらきさん

アンダーグラウンドな掲示版にxyzと書き込むと現れるシティーハンター。西成のドヤ街で錬磨した肉体を武器に究極の断捨離術を体現する仙人。


堀井さん

かつての姉姫様も今は昔。その暮らしぶりに胸を締めつけられる。愛媛の廃屋で暮らす彼女は、母の送った冷蔵庫で、なにを冷やしているのだろう。


小野さん

ドールを操るスタンド使い。田舎の生活に膿疲れた彷徨える思念は、インターネットのジャングルに潜り込み、ひとびとの情念を捕食している。

まとめ

インターネットにおける美しさについて書くつもりが、随分と飛躍してしまった。それもこれも、僕が周りの影響を受けやすい性質だからなんだよ。

僕はカラッぽなんだよ。これから、どんな人生を送って、どんな最期を迎えるのか分からないけど、僕もみんなのように、美しくありたいと願う。