西村賢太著「小銭をかぞえる」を読みました。
- 作者: 西村賢太
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/03/10
- メディア: 文庫
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前回の『苦行列車』に引き続きまして、最高のクズっぷりを遺憾なく発揮する主人公「私」なのですが、今回は、同居している「私の女」との、悲しくもリアルな生活模様を綴っております。
今作も全編を通じて、健気で気丈な「私の女」の善意を、「私」が、容赦なく押しつぶしていきます。その苛烈なまでに人々の善意を蹂躙していく様は、まるで濃厚な戦争ドキュメンタリーを鑑賞しているようで、なんとも胸がアツくなります。
借金の心理
本書に唯一、学びがあるとすれば、それは「借金を繰り返す人の心理」を、的確に描写しているところでしょうか。彼らは、人に「なにを語ればお金を引き出せるのか」を必死に考えています。これは、よく考えると商売にも同じことが言えるんですよね。商品を営業販売するときや、企画書を提出して銀行を説得する場合など、なにを語ればお金を引き出せる(落とせる)かを考えています。
借金の手口は、とても巧妙ですから、「私」が、まともに商売をすれば、優秀なセールスマンになれるのになぁと、残念に思います。もっとも、本人にとって借金は、正当な営利活動なのかも知れませんが…。
まるでむく鳥である
西村賢太さんの小説は、相変わらず、人の身勝手さと本心があけすけに語られていて、ときに気分を害されながらも、奇妙なユーモアがあるという、不思議な世界観でした。落ちこんで元気のない私に、私の女が言った「黒いパンツをはいて、手でしてあげようか」は、名言としか言いようがありません。(僕は白が好きです)
最後に、渋谷の交差点にて、ホットパンツのスレンダー美女に見惚れた「私」のもとへ「私の女」がやってきたシーンを引用して、締めとします。
そういう女の出で立ちを見て、私は愕然となった。
それは今しがた視界から掻き消えた、あの女性の忘れがたい残像の故かも知れぬが、黄土色みたいな垢抜けない徳利のセーターを着込んだ私の女は、ただでさえ小柄なちんちくりんのくせに、この日は足首まで隠れるような長いスカートを穿き、それが妙にノロマ気な印象になってしまっているのである。そして短い前髪は大きくあげた上で、左の鬢だけ強引に耳にかけてヘアピンで止めているのだが、それがまたどうにも子供臭く、さらには肩から、ヘンな白いポシェットを袈裟掛けにしているさまなぞは、その三十近い実年齢を何かド忘れしていると言いたくなる程の、救いようのない野暮ったさであった。まるで、むく鳥である。
なにかを描写するときは、300文字(150文字×2)をワンシーンにすると、すっきりおさまるんでしょうか。とても読みやすいです。
では、また。