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先日、プライベートな記事を書いたら、グッタリと疲れてしまったよ。知恵熱なのかな。
僕と彼女の年の差が、28歳というのは、別に隠すわけではないけど、実生活で紹介するにはかなり抵抗がある。でもネットでは、みんな理解を示してくれるんだ。
ブログ文化
ひとつはブログという媒体にあると思う。ブログを見る層は、異なる価値観を許容できる、文化的な人々が多いからなんだよ。
ブックマークコメントも、好意的な物が多かった。でも、その中に「彼女を失って困るのは僕の方じゃないの?」っていう主旨のコメントがあって、これは、わりと核心をついてる。
僕はその喪失に耐えられるかな?、とか、いろいろ考え始めたら、夜中にうなされてしまった。胸が高鳴るっていうのかな。ドキドキするんだよ。
たぶん、彼女は、僕より先に死んじゃう。それは避けて通れないよ。僕は、その現実を受け入れられるかな…。案外、僕は、非情な人間だから、もしもそんな悲劇が起こっても平気かも。きっと2〜3日で切り替えられるよ…。
虚像と実態
こんなふうに毎日ブログを書いてると、アカウントがだんだん実体化してくるよ。バーチャルなのか自分自身なのか、区別がつかなくなってくるんだ。自分の1ページを言語化していることに間違いはないんだけど、全体像は霞んでくる。
だからと言って、正確に伝えたい、理解してほしいと思って、詳細に伝えると、さまざまな弊害が出てくるから、そういうワケにもいかないんだ。
みんなどう対応してるのかな。
フェイスブックが虚像を育てるなら、ブログは実体を育てる。ブログだから本音で話せる、ネットだから遠くまで届けられると、こっちが本当の自分みたいに思えてくるんだ。
たぶん、ブログは、実体験を伝えるのには向いていないんだよ。普遍的な出来事に対して、どう思いどう考えるかを発信するのに適しているんだ。
アカウントが憑依する
今後は、自分のことより、日常生活の中で思ったこと、感じたことを中心に発信していくよ。
ツールに縛られちゃいけない。気をつけないとアカウントに憑依されちゃうよ。
本心を書くことがブログに命を吹き込むとしたら、デジタルデータは簡単に消去できてしまうから、命も簡単に吹き消せるんだ。
そういう観点からすると、グーグルポリシーを守るのは、ある意味、大切なことかもしれない。
ちきりんみたいに、ときどき泥まんじゅうを仕込んだ方が、健全なブログライフを送れるんだ。