こんちは。チルドです。
きのう、とても悲しい出来事があった。インターネットでは、よくあることだけど、まずは以下の記事を読んでほしい。
記事の内容は、Amazonの欲しいものリスト(ウィッシュリスト)を、匿名で作る方法を、スクショつきで丁寧に解説している。
とても分かりやすくて、僕は、さすがツチヤ君だな、すごいぞ、と思って、たのしく読み進めていた。
ところが、次の中見出しを見た瞬間、僕のフリックは固まってしまった。それこそ、話している途中に、コップの冷水を顔にぶちまけられたようだった。
シェアして乞食になる
ここまで来ればもう出来たも同然です。後はシェアするだけです(見てもらって乞食になるだけです)。
ええ…!?
ツチヤ君…ッ!?
欲しいものリストは乞食?
言われてみれば確かに、欲しいものリストは「誰かプレゼントしてくれると嬉しいなっ」ていう下心はあると思う。
だけど「乞食」なんてひどいよ。
乞食ってのは、もっとこう、憐れみを誘うように地面に突っ伏して、手のひらを差出して、物を乞うしぐさじゃないかな。
欲しいものリストは、そんなことはしてないよ。精神的な意味で「乞食」だと言うなら、それはもっと直接的な方法になるんじゃないかな。たとえば、銀行の口座番号をさらすというような。
ツチヤ君は、欲しいものを公開することに後ろめたさがあって、まるで乞食みたいだと感じたのかもしれないね。
だけどそれは誤解だよ。
「欲しいものリスト」は、ただ自分が欲しいものをリスト化しただけなんだよ。
もっと単純に言えば、友人とショッピングモールを歩いているとき、あー、これ欲しいなって、友人がつぶやいたとするじゃない?
それを聞いて、ツチヤ君は、「あ、こいつ乞食だ」なんて、絶対に思わないよね。むしろ、心に留めておいて、機会があったらプレゼントしてあげよう…なんて思うはずだよ。つまり、そういうことなんだよ。
察するに、ツチヤ君は、自虐的な意味をこめて「乞食」なんて言ってしまったんだと思う。謙虚さの裏返しっていうのかな。
その気持ちは尊重するよ。大切に持ち続けてほしい。だけど、大事なのは「欲しいものリスト≒乞食」じゃないってことなんだ。
最後に
「欲しいものリスト」って素敵なアイデアだよね。欲しいものがわかる便利さもだけど、なにかプレゼントしたいなって気持ちを、すぐにカタチに変えることができる。
それに、リストを見るだけで、こんな商品があるんだっていうセレンディピティまで与えてくれる。それって、インターネットじゃなきゃ、ありえないことだよ。
ちなみにこちらが、僕の欲しいものリスト。
これを誰かにプレゼントして欲しい、っていう訳ではないんだよ。なんて言うのかな…もしもこれがあったら、生活というか、気持ちがうるおうと思うんだよ。
ツチヤ君だって、同じ気持ちだよね。僕は彼のことを、ブログを始めたときから、ずっと見てきたからわかるんだ。
じゃあ、今日はこのへんで。