「あたしナベどうしてる?」
彼女が料理を終えたあと、決まって口にするセリフだ。
それには応えず、僕は黙ってキッチンへ行き、コンロの火を消す。そしてこれは、ナベじゃなくてフライパン。まえにも同じことを指摘した。
「どっちでもいいから、点いてたら消して」
火を消すのが主である。ゆえに乗っているのがナベだろうが、フライパンだろうが、そんなの関係ない。
「じゃあ、コンロの火を消して、と言うべきじゃない?」
僕がそう返すと、彼女は、不機嫌になり幼児のようにふて腐れる。それが分かっているから、僕は黙っている。
正確には「フライパンをコンロの火にかけてるから、消してなかったら火を止めて」だ。
「あたしナベどうしてる?」では、僕以外の人には伝わらない。そもそも、ひとに頼んでおいて、ふて腐れるのは甘えだ。
だが、それは大した問題じゃない。
問題は空焚きだ。テフロン加工(フッ素樹脂加工)のフライパンは、空焚きしてはいけない。
テフロンは約260℃をこえると劣化し、300℃以上になると分解が進み、人体に有害なポリマーフュームが出る。たとえば、小鳥などはこのガスに非常に弱く、死亡することさえある。
家庭用コンロでも、数分の空焚きでこの温度になる。
それも、彼女に説明したが、そんなことはない、200度になんてならない、と譲らない。
過去に、幾度も火を消し忘れて、フライパンから煙があがったのを忘れたのだろうか。
おそらく忘れている。
近ごろは、なにもかも忘れている。