
ある小学生の悲痛な叫びがSNSをざわつかせています。
その様子をのんきに投稿した母親は、息子が、学校の給食で白米をおかわりしたと聞き、なぜ、おかずではなく白米なのか?と問いました。
「…だってうち玄米しか食べれないから白いお米いっぱい食べたかったんだもん…!」
母親の支配する食卓には、おそらく365日、玄米がのっているでしょう。玄米はカラダに良い、おっしゃるとおりです。しかし、玄米は所詮玄米。どうあがいても白米の代替とはなりません。
なぜなら、白米には、白米からしか得られないなにかがあるからです。玄米がカラダに良いとか、栄養価が高いとか、それは情報を食べているにすぎません。ゆえに、どんなに希少な和牛でも、どんなに高価な鰻でも、そこに玄米を合わせてしまったら、すべてが水の泡です。
正しく炊いた白米には、なにものにも代えがたい、美しい余白があります。ひとくち噛みしめた瞬間、風にゆれる稲穂と、穏やかな田園が目に浮かぶでしょう。完全な白米を、一息にほおばり、一気にかきこんだとき、至福はまさに、その瞬間に訪れるのです。