Hatena::AmorphousDiary

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Mは実在の人物です

あたらしい仕事をはじめたとき、大半のことは上手くいかない。よほど器用なひとならともかく、人なみであれば、いくつかのミスや、対応の失敗はつきものである。

それでも、遠回りやまわり道をしながらも、おなじ過程をくり返すことで、なにごともスムーズにこなせるようになる。

ところがMには、そんな定義は当てはまらなかった。

すべてにおいて「自分は他者より優れている」という自意識をもって取り組むため、人に聞けば避けれたミスをしたり、わからないまま手探りで進めたり(あるいは放置したり)して、業務上の問題をさらに深刻化させていた。

たとえばMが、有名大学を卒業していたり、難関の国家資格でも持っているなら、それも無理からぬことかもしれない。

しかし、現実のMは、小中学校の成績は、下から数えたほうが早く、高校は偏差値30台、2年制で名ばかりの専門学校卒と、どう間違えても、自分が優秀であると誤解するような余地は無かったのである。

そうして、深刻化したトラブルを処理するべく、3時間、4時間と残業を重ねていく。ちなみに、職場環境は、普通に作業していれば残業が発生するような余地はなく、他の者の残業もゼロである。

その環境で、残業しなければならないのは、むしろ不可能な状況で、Mは残業したことを、誇らしげに吹聴さえするのである。己の無知と愚かさが招いた結果を、褒め称えよと言わんばかりにである。

Mは加えて、異常な劣等感と、それに付随する攻撃性を兼ね備えていた。

前述したとおり、幼少期から低能、低学歴の王道を邁進した者は、その反面、プライドに左右されず、歳を重ねると、気の優しい人格を形成しそうな気もするが、Mには逆のベクトルが生じていた。

優秀な自分がミスをして、下等な従業員がスムーズに作業をこなす。その状況に不条理を覚え、既存の手順を破壊し、自分であらたな手順を構築しだすのである。それも過去のコンテキストを無視しているため、おおむね出鱈目な手順になり果てるのである。

そもそも、仕事における手順は、ふわりとした感覚で行っているように見えても、おしなべて、過去の手痛い失敗やトラブルに学んだうえに構築されているものである。

それを破棄し、新しいものを導入するならば、細心の注意が必要となるものである。Mにその認識はまったくなく、いや、自覚がないゆえに起こす悲劇なのだろうか。

また、Mは人を貶すことに熱心でもある。たとえば、無償で掃除をしている人に対し、意味のないことをしている等、平気で暴言を浴びせる。これは、善意で掃除している人に劣等感を覚え、その行為と人格を否定することによって、自分を上げようという愚かな動機から生まれる行為である。

逆に、自分の行動は誇大にアピールする傾向があり、いわゆるマウントをとりにくるチンパンジーである。したがって、因果関係があべこべになり、他者の善意は自分へのマウントであり、自分のそれは善意の行為であると錯誤している。

物事には、かならず辻褄という物差しがあるのだが、Mには辻褄を合わせる知能すら欠如している。

たとえば、顧客からの注文に対し、商品の数をまとめろと要求したり、予告なく手数料を請求したりする。ところが、買う側になると、手数料を渋ったり、小分けすることの経済的合理性を説いたりしだす。

双方向に、まったく同じ立場であるのに、ダブルスタンダードを犯している意識がまったくなく、辻褄すら合わせようとしない。

またMは、上記のような点を指摘すると、必ずデタラメな反論をしてくる。それはまるで、現行犯で捕まった犯人が、警察に対して咄嗟につく嘘を想起させる。

仕事のミスも、対応の失敗も、関係者にとって迷惑ではあるが、犯罪ではない。しかるべき事後処理を、誠実にすれば問題ないのだが、この犯罪者的思考によって、徹底的に言い逃れしようとするため、誠実な対応がまったく出来ない。

Mのような人間は、存在を疑いたくなるが実在する。フィクションであれば、どれほど救われただろう。それが、嘘でなく存在してしまうのが、とても悲しい。

Mの年齢が、60歳であるのも、さらに悲劇的である。

今までどうやって生きてきたのか、そして、どれほどの人を傷つけ、被害者を生み出してきたのか、想像するのも背筋の凍る思いである。

Mが邪悪な存在であることが、私にはわかる。

それは、かつて私自身が邪悪な存在であったからだ。

─極めて身勝手に、衝動的に行動し、結果の責任は嘘をついて逃れようとする─

だが、それはあくまで幼少期のことであり、歳を重ねるごとに、身のほどをわきまえ、世間に生かされていると知り、最低限の社会性を身につけるに至った。

だが、Mは違った。

60年間、いっさいを省みることなく、いや、そこからさらに拗らせ、古いタルで熟成するように、あるいは寸胴で煮詰めたように、幼さゆえの邪悪さの核に、老婆の姿をまとい、正真正銘の怪物となってしまった。

私がまともになったのは、別に行いを悔い改めたからではなく、邪悪さのコスパが非常に悪いからである。邪悪さとは、信用を失い、他者との繋がりを断ち、結果として自らを不幸にするものだ。

Mの歩んだ60年は、いったいどんな景色だったのだろう。

なにを見て、なにを感じ、だれとどう関わったのか。

ひとつだけ確かなのは、Mが、邪悪なままのクソババアになった、という悲惨な結末だけである。