もしも僕が、またブログをはじめたら、街にはファンファーレが鳴り響き、華々しい復活のまつりみたいな、そんな雰囲気になると思っていた。
けど、やっぱり、世の中はそんなに甘くなくって、僕の住む世界は、お通夜の翌朝か、夜明けのガス灯みたいに虚ろだった。
ちかごろの僕は、それなりに散らかった部屋で、古いラップバトルの動画を見ている。
”わっわわ、わんつー、いかしたらっぷ、じゃっぷとじゃっくのいれぶんばっく…”
ふり返れば、ずいぶんと長生きしてる。
たとえば、ふつうの46歳なら、子どもの悩みに寄り添ったり、がらにもない親孝行をしてみたり、みだりに結婚しては離婚を繰り返したり、あるいは流行りのウイルスで高熱にうなされたりと、
とにかくまぁ多忙なんだ。
僕は、そんな世界線を、スマホから遠くに眺めつつ、休日は寝てすごしてる。朝は起きるけど、かるい朝食をとって睡眠。目覚めたら15時くらいで、ちょっと食べてまた睡眠。夜は起きてそうだけど、また朝までぐっすり。
それでいいんだ。
眠るって、若いころは、すごく時間をムダにしてるような気がしたけど、それでいいんだ。無意味も有意義もなく、勝ちも負けもなく、広大な海の一滴のように、あるいは螺旋を描く鳥のように、僕らは時の狭間を漂っている。
やがて、まどろみのなかに、すべては眠るように、音もなく散り去ってゆく。
だから今は眠ればいい。