彼女に買ってあげたクルマが、月曜日に納車されるから、最後のドライブに出かけた。最後というのは、新しい車に変わると、今、乗っている車とは、もうお別れになってしまうから。
今の車を、彼女はあまり気に入っていなかったけれど、長く乗っていたから、それなりに愛着があると思って、お別れドライブを提案したんだよ。
僕らが付き合いはじめたころ、彼女は車を買い替えて、そのとき僕は「新しい車が来てうれしいね、早くどっか行きたいね」なんて、無邪気に喜んでたんだけど、彼女を見ると目が赤くなっていた。僕は「どうしたの?もしかして泣いてるの!?」とか思ってビックリしてしまった。
それと言うのも、あのころの彼女は、まだずっと若くて、強い女を演じていたから、人に弱みなんか絶対に見せなくて、寝顔を見られるのも嫌がるくらいだった。もちろん、泣くなんてありえなかった。
だから「どうしたの?なんで泣いてるの?どこに泣く要素があったの?」って、僕は軽いパニックになってしまった。そしたら、彼女は、古いほうの車を見ていて、ボンネットに手をおいていたんだよ。つまり、今まで乗っていた車との、別れを惜しんでいたんだ。
僕は、そうかぁ、そうなんだ、とか思ってしまった。だって、僕にとっての自動車は、あくまで移動する手段であって、道具でしかなかったから、そこに感情移入する余地なんてなかったんだよ。
でも、その車には、行った場所や一緒に乗った人の思い出がいっぱい詰まっていて、そういう感情になるのは、不思議じゃなかった。彼女は、きっと、いろんなこと思い出してたんだよ。
そしたら、新しい車に浮かれていた僕も、しんみりしてしまって、古い車はどこへ行くのかな、スクラップになってしまうのかな、とか想像して、悲しくなってしまった。
それを覚えていたから、今日は最後のドライブしようって言ったんだ。
あのころ、よく行っていた、海のほうへ向かって、海沿いの道を走った。助手席に乗っていた僕は「いつもはスマホを見ているけど、今日はキミの運転を見ているよ」って言ったら、彼女はすごく笑ってくれた。
空は曇っていたけど、日差しは強くて、海が銀色に光って水平線と空の境目があいまいになっていた。むかしは、海なんて見ても、何とも思わなかったのに、長いあいだに積もった、新しいのや古い傷が、浮かんでは消えていって、言葉にならなかった。