2017年、文学にストロングゼロというジャンルが生まれて、1975年世代の僕らも、ずいぶん遠くまできたんだなあと、ひしひしと実感している。
働いても働いても、暮らしは楽にならなくて、年収200万の前半から抜け出せなくて、一歩進んでニ歩下がるような人生だったね。
若いころ、僕がしなきゃならなかったのは、妥協でもレールに乗ることでもなく、理想を見つけて、そこへ向けて、一歩づつ進むことだったんじゃないかな。
走れなくても、歩くのが遅くても、どんなに遠回りしたって、行き先さえ知ってれば、迷うことはなかったんだ。
いつの時代も、ストロングゼロは、キンキンに冷えて僕を待っている。輝くアルミの肢体に、うっすらと汗をかいて、プルトップを開けてほしそうに、こっちを見ている。
夕暮れの工事現場でも、長距離トラックの運転席でも、完全に遅刻した電車のなかでも、手を伸ばせば届くところに、ストロングゼロは立っている。
今すぐ、ファミチキを3ピースと、ストロングゼロを調達して、いちばん近くのバス停から、バスに飛び乗るんだ。そして、最後尾のいちばん端っこにドカンと座って、ストロングゼロをパカーンとしてグビっとやるんだ。
そして、ファミチキを頬張りながら、車窓を眺めよう。どんな景色が見えるかな。
それが僕の見ている世界なんだ。