先日、上記の記事で「改行」について書かれていた。
筆者によれば、インターネットにはルールに則らない改行、つまり、書き手が読みやすさを考慮して任意に行う改行があり、それを「形式改行」と定義していた。そして、形式改行を使うとき、書き手は感情に訴える、ポエマーになっていると言うのだ。
僕らは、ブロガーではなくポエマーだったの?
いや、そんなのおかしいよ。少なくとも僕は、ポエムなんて大嫌いだ。
そうこうしてると、どうも筆が進まなくなってしまった。改行のポエム化について、変に意識してしまって、うまく文章が書けない。
しれっと書いている今も、実は最初の改行をどうするべきか、小一時間は悩んでいた。まったく、たった一行の空白に、これほど追い込まれてしまうなんて、とんだ呪いがあったもんだよ。
そんなこんなで、昨日は、もう何も書く気分にならなくって、お家でゴロゴロしていた。そして、グラビアアイドルのお尻の画像を検索していた。
お昼も過ぎて、友人のKからLINEが来た。ちょうど小腹も空いていたから、駅前の大喜四で、一緒にラーメンを食べることにした。
「バリカタで」
友人のKが、よく通る声で注文すると、僕も一緒に「かためんで…」と控えめに言った。いつも自然に「バリカタ」を注文できるKに、僕は密かな嫉妬を感じながら、カウンター席につくと、こう切り出した。
「文章の話なんだけどさ、改行のタイミングについて意識したことある?」
「改行? 段落前のスペースのことか?」
「いや、それも含めてなんだけど、スマホのメールとかネットの記事って、横書きなのに、画面は縦に細長いから、紙の本より改行を多めに使うよね。」
「ああ、そういうことか」
「うん。芸能人ブログとかアメブロとか、めちゃくちゃ改行しまっくて、あんなの君はどう思うかなぁと思って」
「あれは、やめた方がいいな」
「だよね。やっぱ詰めて書いた方がいいよね」
「いや、改行するのはいい。しかし、まったく改行しなくて、詰めて書くのはシャイだ」
「シャイ?」
「ああ。改行は、読んだ人が見やすいように、読んで欲しい気持ちでするものだ。それを、わざわざネットに書く文章で改行しないのは不自然だ。つまり、他者が読む前提で、あえて詰めて書くのは、自分の言葉に自信がないか、見られたいけど見られたくない、シャイな書き手と言えるだろう。」
「恥ずかしがり屋さんってこと?」
「そうだ。早口でなに言ってんのかわからんヤツと同じだ。それから、文字を無駄に強調したり、デカくする。あれも恥ずかしい」
「でも、SEO効果あるらしいよ」
「それはstrongタグとかの話だろ。文中で唐突にフォントサイズを変えたりするのは、明らかに薄っぺらく中身がないからだ。凡庸な言葉だから、視覚に訴えて誤魔化そうとする。」
「そっかぁ…」
僕は、麺がなくなったスープを、箸でグルグルかきまぜながら、Kの意見を咀嚼していた。
改行しないのは、恥ずかしがり屋さんだから─
フォント弄りは、クリエイティブじゃないから─
どうなんだろう…。
それからKは、替玉をひとつ頼んで、無言で麺をすすった。僕もそれにならって替玉をした。
ときおり強い風がお店のドアをガタガタ鳴らして、誰かが出入りする度に、のれんがとっ散らかって冷たい風が吹き込んできた。
Kは丼に残ったスープを一気に飲み干すと、こっちを見た。僕が軽くうなずくと、Kは「お勘定」と、またよく通る声で店主に告げた。
そして、Kは無造作にマネークリップから札を出すと、僕の勘定もまとめて払ってくれた。
店を出て、僕が自分のを払おうとすると、Kはそれを手で制して、どこかに電話をかけた。そして、電話を切ると「またな」と言って、路上駐車していた大っきい黒いタガメみたいなクルマに乗った。
僕は財布をカバンにしまいながら、ドゥンドゥン、という低音を響かせて、走り去るKのクルマを見送っていた。
恥ずかしがり屋さんだから…
僕は歩きながら、その言葉を、もう一度口の中でころがしてみた。
そういえば、小沢健二は、「激しく心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した」と歌っていたっけ。そう考えると、改行しないのは書き手の恥ずかしさというKの説は正しいのかも知れない。つまり、自意識の問題ってこと。
僕は、適度に改行しているし、過剰なフォント弄りもやっていない。ただ、ときどきすべての文字を赤く、あるいは巨大なフォントで書き殴りたくなることがある。
ずっとブログを書いていると、読者に対して、超えられない壁や、埋まらない溝を作りたくなってしまう。それは、誰も本当の僕を理解してくれない、という被害妄想なのかも知れない。
それでも僕は、文字を編まねばならない。たとえ、誰ひとり読まれなくても。たとえ、はてなブログのトップページから除外されても。
くじけずに頑張らなきゃなんない。
お家帰ったら、さっそくコタツに入って、執筆開始だ。