ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

タンクが壊れてトイレの水が流れない


今から8年前なんだけど、僕の実家のトイレの水が流れなくなった。

マンションって、建ってから三十年くらい過ぎると、いろいろ修繕が必要になってくるんだよ。エアコンとか給湯機とか窓のサッシとか。もちろん、トイレも例外じゃない。

便座はピカピカだし、ボタンを押したら換気扇だって軽快に回っていた。でも、ある日とつぜん、タンクに水が貯まらなくなってしまった。脇のレバーをひねっても、スカスカして、カラ回りするんだよ。


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流れない水

水が流れないから、当面の応急処置として、バケツに水をためて、それを便器へ流してた。となりの洗面台の蛇口は、ホースみたいに伸びるタイプだったから、バケツに水を汲むのは簡単だった。水圧も強くて、全開なら小さなバケツは6秒で満タンになった。それをザブンと流せば、大抵の便はおとなしく流れていった。

ところが、たまに多めの量を出してしまうと、一回で流し切れないことがあった。お腹に2日、3日分と貯めてしまうと、膨大なうんちが排水口付近に留まって、一回じゃ流れないんだ。

まず、バケツからザァっと水を投下するよね。すると、ぶゎ〜と水位が上がって、同時に便も上昇してくる。ふつうならそこで上昇エネルギーが下降エネルギーに転じて、水圧が排水弁を押し広げてくれる。それが一気に排水溝へと流れていく。

でも、バケツの水量が足りないと流れない。便器の中が小さな湖のようになって、うんちがプカプカと浮いてる。それはさながら、汚水に浮かぶ小舟のように。

うんこ製造機と呼ばれて

実は、その頃の僕は、働いていなかった。仕事を辞めて、かれこれ半年が過ぎようとしていた。そんな僕が、毎日やる事と言えば、ひがな一日パソコンのまえに座ること、そしてバケツの水をトイレに流すことだけだった。

当時、まだニートという言葉は一般的ではなくて、僕のように、引きこもってインターネットをやっている人間は、自宅警備員だとか、あるいはうんこ製造機なんて呼ばれていた。

朝起きて、ご飯を食べて、パソコンをして、トイレへ行って、寝る。その生産性のないサイクルは、まさに排泄するだけの装置みたいだった。

流れないトイレに浮かぶうんこの小舟。それは僕が生産性のないうんこ製造機であることを、否応なく突き付けてきた。茶色に濁って、便器に滞留したうんこは、僕を見上げて笑っていた。

修理したタンク

すまない。タンクが壊れた話が、いつの間にか僕のうんこ製造機時代の、思い出話しになってしまった。

トイレのタンクは、けっきょく、父親が業者に頼んで修理してもらった。修理したその日には、もう水はちゃんと流れるようになっていた。

翌日、僕はトイレに行くのを我慢して、次の日に二日分のうんこを出してみた。それまでの経験から、バケツなら一回じゃ流し切れない量だった。

僕は、スッキリしてから、ひとまずズボンを上げると、おそるおそるタンクのレバーへ手を伸ばした。果たして流れるのだろうか。そんな期待と不安が入り混じった複雑な気分だった。

僕が意を決してレバーを引くと、ガツンとした手応えとともに、タンクに蓄えられた水が一気に流れ出した。

磨き上げた便器の中は、ブァ〜っと水位が増して、一瞬ヒヤっとしたけど、そこから急激に下がっていった。そして、水はどんどん吸い込まれていって、最後にゴボンっと鳴って、また何事もなかったように綺麗な水が、少しだけ残った。

僕は、その一部始終を見届けると、トイレの便座にフタをして、またパソコンのところへ戻った。なぜだか、妙に悲しかった。そして、流れなかったうんこ達と、対話した日々を、懐かしく思った。