ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

スペシャルなチョコレート

5年前から通っている歯医者さん。

受け付けの女の子がめちゃくちゃ可愛い。田舎のこっちじゃ、ちょっとお目にかかれないタイプなんだよ。

可愛いというか、キラキラしてる。まるでオシャレ雑誌から出てきたような容姿。それもペラペラの本じゃなくて、フルカラーのズッシリ重たい本だよ。


Sweet(スウィート) 2016年 02 月号 [雑誌]

Sweet(スウィート) 2016年 02 月号 [雑誌]


歯医者さんは、若い先生だから、ビジュアルにこだわってるのかもね。受け付けの子の服も、ありきたりな白衣じゃなくて、黒を基調に白いラインが印象的な、それでいてフェミニンで知的な、オシャレな制服なんだよ。

僕が、ソファーに座って、治療の順番を待っていると、ときどき、その子がフロアを横切って行く。

ここは、ビルの1階だから、フロアの外にトイレがあるんだよね。僕は雑誌に視線を落としたまま、上目遣いで、その子の足の運びを追っている。

その歩みは、よく訓練された血統書付きのネコのように、カーペットの上をなめらかに通り過ぎて行くんだ。

あの子、これからトイレに行くんだ…。

はぁはぁ。

リラックスしてソファーに座っている僕は、澄ました顔で、はぁはぁしてる。足を組み、雑誌を読むフリをしながら、はぁはぁしている。黒いスカートから、優美に伸びる白いふくらはぎに、はぁはぁしているんだ。


治療が終わって、再びソファーに座ると、受け付けの子は、2歳くらいの子供をあやしていた。

この歯医者さんは、子供の歯列矯正にも熱心だから、けっこう子供が多いんだよね。待合室のフロアには、ベビーベットや、積み木で遊べるスペースが設けられている。

あの子が抱いてる子供は、お母さんが治療中なのかもね。高級なオシャレ雑誌に出てきそうな、綺麗なお姉さんが、フロアマットのうえに膝を崩して、幼子を抱いているんだよ。

はぁはぁ。黒いスカートが無造作にめくれて、はぁはぁ。抱いた子供に視線を落とす、長いまつ毛にはぁはぁ。気持ち良さそうに、乳房に顔を埋めるシーンに、はぁはぁ。はぁはぁ。

僕はフロアのテレビを、何気なく見ている、ありきたりな客を演じながら、内心は、高速はぁはぁをくり返している。

治療を終えて、戻ってきたお母さんに、子供を渡すと、オシャレ雑誌の女の子は、受け付けの窓口に、ネコのように戻っていった。

僕の名前が、オシャレ雑誌に呼ばれて、心臓がトクンと鳴る。お金を数える指でさえ、綺麗なネイルアートに彩られてる。

いつもは、そこでお別れなんだけど、今日はスペシャルだった。通院カードとともに差し出されたのは、ひと粒のチョコレート。ハート型だよ。

戸惑っている僕に、オシャレ雑誌は優しく言う。

「キシリトール入りの、歯に良いチョコですよ」

僕は無言でチョコを受け取ると、感じが良いと評判の、控えめな笑顔で会釈した。

はぁはぁ。僕は内心のはぁはぁを一滴も漏らさず、そっとフロアを去る。そして、ビルの外へ出ると、包みを開けて、ハート型のチョコを口に入れた。

治療後の30分は、飲んだり食べたりしてはいけない。そんな掟すら破ってしまう、スペシャルなチョコレートは、控えめな甘さで、口の中で溶けていった。




今週のお題「バレンタインデー」