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この夏、最高にモヤモヤする話しが舞い込んできました。
「自分に甘く他人に厳しい」って言葉、ありますよね。例えば、約束の時間によく遅刻するひとが他人が遅刻してきたら怒る、みたいな話です。
自分で言ったら苦笑ネタというか、自虐的な意味合いになりますし、誰かをそう評すなら批判的な意味合いになるかと思います。
photo by gareth1953 Cataract Creating Chaos
ナゾ解釈その一
ところが、そこにナゾ解釈が出てきたのです。
A子曰く…
自分に甘くても他人にきびしいのは、良い人だと言うのです。
?と思って、くわしく聞いてみると、厳しくされた人のためになっているから良いというものでした。
理屈は通ってる気がするのですが、非常にモヤモヤします。
自分に甘く他人に厳しいのは、どちらかと言えば普通のひとです。ひとはそうそう聖人君子にはなれませんからね。
しかし、それを良しとしてはダメだと思うんですよ。
それを真顔で主張するA子に、正直、ゾッとしました。
ナゾ解釈その二
さらにA子のナゾ解釈は続きます。
今度は「自分に甘く他人にも甘い」ひとは「ズルい人」という解釈です。
これ、ニュアンスというか、言わんとすることはわかるんですよ。自分にも他人にも甘いのは、例えば仕事だったら真剣さが足りないとか。
しかし、自分に甘く他人に厳しいひとよりマシでしょう。どう考えても。
自分に甘く他人に厳しい→良いひと
自分に甘く他人にも甘い→ズルいひと
はぁ?って感じです。
どっちかと言えば逆ですよね。前者は自分の行動を棚に上げて他人に厳しいわけですから、ひとにとやかく言う前に自分がちゃんとしろって話です。
後者は自分がちゃんとしてないから、ひとにも甘いわけです。どっちもどっちですが、自覚があるだけマシです。
客観性の欠如
この主張の不気味さは、どちらの解釈にしても、言った本人の客観性がスッポリ抜け落ちているところなんです。
前者は人格ではなく発言の正当性のみを主張しているのに対して、後者は発言ではなく、発言しないひとの人格を批判しているのです。
僕はA子に、「じゃあ、自分に厳しく他人に甘いひとはどうなるの?」とか、聞こうとしましたが、止めておきました。すでに人格と発言がカオスになっていますから、まともな解釈になるはずありません。
世の中には色んなひとがいて、様々な解釈がありますが、あまりにも頓珍漢なのは恐怖を感じてしまいますね。
やれやれ。