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こんちは。ライターのチルドです。
僕は20代のころから働くのがイヤでした。夜更かしの次の日、眠たい目をこすりながら満員電車に乗るのは耐えがたい苦痛です。
寒い冬の日に、なにが悲しくて布団から出るのでしょう。うだるような夏の日に屋外で汗を流すと、クーラーで快適に過ごしている室内の人間が憎くてたまりませんでした。
無能な上司や、意味不明な部下。心底ウンザリしました。社内のくだらない人間関係にはヘドが出ました。
なぜ自分がこんなことをしなければならないのだろう。なんで自分ばかりこんな目にあうんだ。みんな金の亡者だ。低能ばかりだ。
辞めたい。もう辞めたい。
僕はそんな、醜く屈折した思いを五臓六腑に充満させて、40年の歳月を歩んできたのです。
転機
ところが、最近になって、仕事にあまり苦痛を感じなくなったのです。それどころか、ちょっと喜びまで覚えるようになってきました。この変化は一体なんだろう…ということで、思いつくままに理由を書いてみます。興味があれば、お付き合いくださいませ。
お金に価値がついてきた
人がダメになる要因って、お金の価値を低く見積もることにあるんです。僕がそうでした。こんな紙切れに僕は縛られないと。
しかし、ある日のことです。その日は彼女の誕生日でした。ところが僕はプレゼントを用意するのを忘れていたのです。もう間に合いません。やむを得ずありったけの現金を手渡しました。
そのとき僕は知ったのです。
現金をあげると、人はすごい笑顔になるということを。彼女の満面の笑みによって、僕は生まれてはじめて、お金に価値を感じられるようになったのです。
自分の中でお金の価値が上がると、相対的に労働の報酬も大きく感じられるようになりました。これがあれば、また誰かに最高の笑顔をもたらせる。とても大きなモチベーションになりました。
理由がないと運動不足になる
人は誰しも年齢とともに体力が衰えてきます。僕も衰えを感じています。たいていは運動不足からくる不調なのですが、これは世の中が便利になって、体を動かす機会が激減したからなんですよね。
そんなとき、体を動かしたらお金に変わる運動を発見しました。「労働」それは一石二鳥の革命的ライザップです。
皮肉なことに、老いによる運動不足が、労働にはじめて意味を与えたのです。それからの僕は、若いころ理不尽に感じていたことや、損得なんてどうでもよくなり、率先して動ける人間になりました。
考えすぎなくていい
1%の才能がなければ99%の努力は報われない。そんな話しをよく聞きますよね。でも、これって実は99%の努力ありきの話なんです。
99%を才能で、あとの努力は1%だけでいい。そんなうまい話はありません。
けっきょくは99%やるしかないんです。でも、人生の99%を頑張るなんてありえないじゃないですか。そう思うと人生におけるパーセンテージなんて、どうでもよくなりました。
ひとの痛みが想像しやすくなった
映画でも本でも、他人の人生にしても、感情移入できなければ、面白くも興味もなんともないわけです。
自分の周りで起こった悲劇的なことや嫌なこと。それが積もり積もっていくと、あるときストーリーが見えてきます。物語りがスッと心に入って来るんです。
人生はパロディですよ。もう、どーにでもなれって感じです。
些細なことに幸せを感じる
思いきり笑ったことがない人生でした。僕の40年はドラマのない歳月です。でもそれ、突き抜けると、箸が転がっても笑けますよ。
笑えないとしたら、まだ足りないんです。痛みが足りてない。もっともっと、傷つき倒れてください。血へどを吐いて地面をのたうち回るんです。悲鳴をあげてもがき苦しむんです。
人って不思議なことに、一線を越えると笑いが出てきます。最後に笑えるなら、それでいいじゃないですか。
幸せとは
自分に何ができて、何ができないか─。それは可能性であると同時に呪いでもあるんです。見極めるには99%の努力がいるからです。
「逃げちゃダメだ」も「働いたら負け」も「好きのことで生きていく」も、全部おなじです。同じ戦いなんです。闘争なんですよ。99%の果てしない苦行なんです。
その戦い、あきらめても終わりません。
あきらめると残っちゃうんです。希望という熾火がいつまで消えずに、かといって燃えることも出来ずに残るんです。
やりきって自分の限界感じましょう。やりきって自分のキャパシティを把握するんです。自分は探しても見つかりませんが、自分のダメなところは見つかります。
そして受け入れましょう。人は、自分を知れば知るほど自由になります。これは無理だけど、こっちはやれる。それでいいんです。そこから人生を楽しむんですよ。
つまり、悩むのは時間の無駄じゃなかったんです。泣いたことも悔やんだことも、怒ったことも悲しんだことも、自分を知るために必要なことでしたから。
それが僕の出した答えです。
この記事が、全国の仕事したくない病に苦しむ、あまたの民の一助になれば幸いです。
んじゃ、またね。