ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

社畜やブラックなんてとっくに時代遅れ。なに眠たいこと言ってたんだろう。

こんちは。チルドです。

仕事に行こうと思っていた朝、急に会社が休みになったら、君ならどうする?

僕がひらめいたのは、ブログの記事を書いてみることだった。まる1日、仕事だと思って書けば、5本、いや、ひょっとしたら10本くらいは書けるんじゃないか。そう思ったんだ。

僕の夢はブログで生活すること。そのためのノウハウはいろんなサイトで紹介されてる。あとは自分のやる気次第なんだ。

突然の休日は、そのために神様がくれたプレパレーションなのさ。本気でそう思った。僕の秘められた潜在能力が、今まさに開花しようとしている。

広大なフリータイム

休みの一報を受けたのは、まだ空が白み始めた6時半だった。その知らせを聞いたとき、僕は平静を装っていたけど、心の中はカーニヴァルだった。

平日にお休み。誰にも邪魔されることのない広大なフリータイム。それが僕の目の前にひろがっていた。

よし。このチャンスに自分を試してみよう。それが今後の人生プランを一変させるかもしれない。

今日はやる。やってやる。

その前にちょっと横になろうう。まだ7時だからね。勝負は8時からだ。

午前中のタスク

安らかな寝息をたてる枕元で、時計の針は静かに時を刻んでいた。僕は目を覚ました。そうだ。よかった。今日は休みになったんだ。

ファッ!?

スマホのデジタル時計には、12:36、が表示されていた。しくった。たぶん疲れていたんだろう。なに、まだ今日は6時間も残ってるじゃないか。これからでも6記事は書ける。

とりあえずシャワーを浴びよう。しかしなんなんだ。この気だるさは…。

午後のタスク

シャワーも浴びてサッパリしたところで、いよいよ記事を書き始める。あと5時間だけど集中したら10本はいけるかもしれない。

おっと。その前に今日の出来事をチェックしておこう。みんないろいろ書いてるな。ナルホド。こんな切り口があったのか。参考になる。

そうだ。このまえダウンロードしたあの動画、まだ見てなかった。時間あるし、ちょっと見てみよう。

…なんかおしっこしたくなってきちゃったな。どうしよう。モヤモヤしたままじゃ効率が悪い。ひとまず賢者になろう。

ファッ!?

頭にかぶっていた布団を押しのけて、スマホのデジタル時計を見ると、そこには、19:48、が表示されていた…。

夜のタスク

やっと落ち着いて今日1日をふりかえっている。打った文字0。目標はあったけれど、なにひとつ達成できなかった。そんな現実が静かに横たわっている。

なにもジャンクな記事を量産すればいいというものじゃない。まだチャンスはある。有益で高品質な記事をひとつだけ書けばいい。それだけでいいのだ。

しかし、僕の海馬には有益と思える情報はなかった。もしも僕が、特別な仕事や職業についていたならば、なにかしら提供できたのかもしれない。けれど、それがないから低所得なのだ。そんな当たり前な現状を確認しただけだった。

インターネット広告業

昨今のアフィリエイトを冷静に分析してみると、機械的にキーワードを埋め込むテクニックではなく、きちんとした内容と文章が評価されている。

例えば、仕事の流れで知り得た情報、知識、技術などを発信することで、軽く10万は稼げてしまう。それはなにも秘密の暴露というような話しではなく、あくまで常識の範囲内で構わない。

なぜなら、業界内の常識でも、一般人にとっては十分有益な情報となり得るからだ。

そして、年収500万クラスのサラリーマンであれば、それなりのポジションとスキルと経験があり、有益な情報を持っているのが普通だ。

つまり、アフィリエイトというシステムは、高所得の人々にとって非常に有利な状況になっている。それこそ、暇つぶしで10万、片手間で20万、ガチで30万というようなチョロい副業を生み出してしまった。

そんなに簡単じゃないと思うのは、それこそ低所得者の貧しい発想だろう。日常的に高いパフォーマンスを要求されている彼らにとって、そこらへんに転がっている情報を集めてレポートにまとめることなど造作もない。

おまけに仕事も早い。決まりきった単純作業を、あーだこーだ言いながら非効率に繰り返す、低所得者とは雲泥の差がある。

暴かれたポテンシャル

自分が出来ると錯覚してしまうのがインターネットの怖さだと語られていた。お金も稼げずに、キーボードの変換がなければ母国語すらたどたどしい僕らは、ヴァーチャルに踊らされ、なけなしの日銭でガチャを引くのがお似合いだ。

いっぽうポテンシャルの高い層は、淡々とコンテンツを作成し、本来、受け取って然るべき対価をきちんと手に入れる。無能者によって侵害されていた利益を、正当な手段によって取り戻せるようになった。

格差だ、インチキだ、と叫んでいた僕ら低所得者たちは、自分たちこそ正統なるインチキの系譜により、インチキで生きてきたことを暴露された。ただそれだけの話だ。

フラットな競争

僕の親しい仲間たちよ。低所得者、無能なミニマリスト、無能なひきこもり、無能なニートたちよ。もうインチキを声高に叫んでも誰にも届かない。怠惰な僕らの言い訳は、もはや滑稽でしかない。それでもまだ誰かのせい、社会のせい、資本主義のせいだと言い募るのだろうか。

「だったらネットで稼げばいいじゃない?」

そう。僕らが本当に不当な評価を受けているならば、ジャンクなパソコンと安価な通信さえ用意すればいい。僕らが本当に虐げられているのならば、たったそれだけで格差は逆転できる。不当な評価は正される。それが現在のインターネットだ。

だが、しかし、僕らに稼ぐ才覚はなかった。どこまでも怠惰で怠慢だった。それはインターネットという、ゆらぎのない能力判定装置によって正しく評価された。逃げも隠れも、裏も表もない評価によって、白日のもとに晒された。

ひっそりと暮らそう

無能な者たちよ。僕と一緒にひっそりと暮らそう。格差なんて言葉を使うのはやめよう。高所得者の減税に賛成しよう。粛々と搾取されよう。稼げる人々をリスペクトしよう。そして限られた物しかない自分を肯定してあげよう。

なに、それで人生が終わるわけじゃないさ。ちょっとしたバイトで美味しいものを食べられるし、その気になれば世界中どこだって行ける。気分が落ち込んだら寝てればいいし、ネットでワクワクする動画を見てたっていい。

なまじ才能があると苦労することだってきっとある。「目の前にお金が落ちてるのに拾わないでいるのはむずかしい」 いつかテレビで、カリスマトレーダーがそう言っていた。

自由な世界

もう、格差とかブラックとか死語なんだよ。社畜なんてナンセンスだ。組織に属さないと生活できない、資本が無ければ勝負できない。そんな時代は終わったんだ。

インターネットが誰でも才覚ひとつで稼げることを証明してみせた。生まれや出自、運のある無しなんてセーフティーゾーンは消滅した。これからは、根気、才覚、個々人の能力の差異が人生を決める。

それがインターネットであり、人類が手に入れた自由なんだ。