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インターネットではよく「嫌なら見るな」という言葉を見かけるよね。
自分の表現に不快感をぶつけてきた相手へカウンターとして使われることが多い。嫌なら見なければいいって、当たり前のことなんだけど、僕が日ごろ心がけているのは「嫌なものを見る」ということなんだ。
ものすごく身近な話をすると、僕には苦手なニュースがある。…たとえば、悲惨な事件や事故、紛争や戦争など。
僕には当然「見ない」という選択肢もある。だけど、そこから目を逸らしてちゃダメだ。自分が見たくない、知りたくないことこそ、自分を成長させてくれるんだよ。ときどき歳をとったら成長しなくなる、変われなくなるなんて思ってしまうけど、それはちがうんだよ。
ひとが成長するってどんなときかな。子供なら背が伸びたり、体重が増えたり、言葉を話せるようになったりというように、目に見えた変化があったときだよね。だけどいったん成長期を過ぎてしまったら、なにを持って「成長」と言えばいいのか分からなくなる。
だけど、僕たちは常に成長している。生物学的には細胞が入れ替わり身体は日々変化していく。愛するひとが亡くなったとき、世界は色彩を失ってしまう。カラダも心も、決してひとつの場所に留まれやしないんだ。
凍える屋外に出てみる。移りゆく季節を肌で感じてみる。行ったことのない場所へ出かけてみる。僕のちっぽけな頭で考えることなんて、自然の中ではなんの役にも立たなかった。
それが生きるってことなんだ。