ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

底辺について語ろう

底辺とか低学歴について話そうかな。

僕は、小学生のころ山梨県から福岡県に引っ越してきた。親父がマジメに働きだして生活も落ち着き、言葉の違いにも慣れた。

小学校では、T君という友人ができた。学校で仲良くなり、僕の家にもときどき誘うようになった。

ある日の放課後、僕は、T君の家にも遊びに行きたいと持ちかけた。最初はいろいろ理由をつけて断っていたけど、しつこく頼みこんで連れて行ってもらえることになった。

近所の山の麓だった。この先だというT君に従い、僕は嬉々として山道を登っていった。小川沿いの山道を、上流に向けてぐんぐん登っていく。どれぐらい歩いただろう。軽く30分は経ったと思う。

辺りに民家といえるような建物はなく、道もでこぼこになり、木の根が自然に階段になったような山道をとおりすぎた。晩秋だというのに額には汗がにじみ、ここから毎日、小学校まで通っているとは、到底信じられなかった。

そこからさらに30分近く歩き続けた場所に、T君の家はあった。築年数が想像もつかないくらいボロボロのアパートだった。5軒続きの2階建てのアパートに、住人はT君と母親だけだと言った。

大家さんはどこに住んでいるのだろう、という陳腐な疑問がよぎったが、それ以前に、電気やガスなどの生活インフラがあるのかどうかすら、疑わしかった。

T君が家に上がってみるかと問いかけたが、僕は、ただ黙ってうつむき、首を横にふることしかできなかった。

僕とT君は、苔むした岩に並んで腰かけ、今にも倒れそうなアパートを眺めていた。手付かずの荒れ果てた自然の中で、上流から流れる小川のせせらぎを聞きながら、崩れかけたアパートを見ていた。

***

それからT君とは遊ばなくなった。というか、学校にあまり来なくなった。聞いた話では、母子家庭だったようだ。

今考えてみると、なんらかの事情で、家が借りれずあそこしかなかったのだと思う。保証人が無ければ、賃貸住宅に入居するのさえ、困難な時代があった。

あれから20年…。T君が元気に暮らしていることを、願わずにはいられない。