ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

立身出世の物語りが好きだった

サクセスストーリーが好きだった。実在の人物も、小説の主人公でも、どっちも大好きだった。

話しを聞くだけでワクワクしていた。数々の困難を乗り越え、ピンチをチャンスに変えて、栄光の軌跡を描くヒーローたち。努力と才覚でドン底から這いあがり、頂点に登りつめた天才たち。

最高にカッコいいし、僕もそうありたいと願っていた。

ところが、その価値観が今、大きくゆらいでいる。

立身出世のヒーローたちは、時代を切り拓いたのかも知れないけれど、結局のところ、それは、良い仕事をしたゆえの対価でしかない。

よく考えてみたら、みんなの役に立つ、良い仕事を必死でしたら、ちゃんと評価されるのは、当たり前の話で、もしも彼らが、なまけて寝ていたら評価はゼロだった。

つまり、ヒーローをヒーローたらしめている、お金や承認という尺度は、あくまで他者に依存している。

一方で、世の中には、生まれながらに莫大な資産を手にしている者もいる。たとえば、オイルダラーの子孫。不動産王やホテル王の子供。多国籍に事業展開するコングロマリットの一族。身近なところでは森ビルオーナーの息子など。

こっちは、もうすでに成し遂げている。生まれた瞬間に勝っている。あるいは、サラリーマンの一生分の財産を始めから持っている。

  • 出世してお金持ち:必死になって働いて、やっと価値を認めてもらえる
  • 最初からお金持ち:働かなくてもスペシャル


要するに、出世は他人の適当な評価に基づくもので、自分では完全にコントロールできない。同時に、足を引っ張ったり、引っ張られたりと、人として醜い部分も受け容れつつ、うまくやらなければならない。

一方で、恵まれた家系に生まれたら、他人の評価なんて関係ない。銀のスプーンをくわえて産まれた、選ばれし者だから。僕の好きなドラクエの勇者も、どちらかと言えばそっち側なんだ。

人は他人を正しく評価できない。しようともしない。たとえ劣っていても、自分のほうが出来ると言い張る、愚かな生き物なんだよ。


年をとるにつれて、そんな現実を知ってしまったら、立身出世のストーリーが急に色褪せてしまった。

それより、生まれつき選ばれてる、最初からお金持ちの方が、むしろカッコよく見えてきた。努力や運に左右されない特別な存在だから。

おそらく、必死に働いて資産を築くと、その代償も大きい。人並みを超えた、成功や幸運には、外見では判断できない内面のダメージがある。強い薬には、強い副作用があるようにね…。

ヒーローは、そのチカラが人智を凌げば凌ぐほど、「人間らしさ」からは、逆に遠のいてしまう。

逆説的に言うと、あぐらをかいて相続した資産の方が、人間としては幸せで、豊かな生涯を送れるような気がしてきた。

その証拠に、僕は、コツコツ貯まった銀行預金が1千万円を超えてから、少々の理不尽に腹を立てることが無くなった。必死に銭を稼ごうとする人々には「まぁ、がんばれや(苦笑)」くらいの気持ちでいられるようになった。

どんな生き方をするのも、人それぞれだけど、大きな成功が、必ずしも大きな幸福を約束するモノじゃないってことだけは、忘れちゃいけない。



今日は、そんなところです。