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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

なぜ昭和二十年世代は劣化したのか

暮らし

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古き良き時代、高度成長期を支えた原動力も今は昔。巷には職を失った昭和二十年が溢れている。(写真:PAKUTASO)


平成も二十八年目に突入した現在、元年生まれも、当然ながら二十七歳になったのだが、若い力は年々衰えてきている。そして力を増してきたのが昭和二十年世代である。石を投げれば団塊に当たるというくらい街には昭和二十年世代が溢れている。

インフレ経済の恩恵を受けて、調子に乗った青年時代を過ごし、悪いことはすべてバブルに責任転嫁してきた昭和二十年は今、その数の暴力によって老人ファーストの社会を作ろうとしている。

社会の歯車として回り続けた昭和二十年。それが回転を止めた途端になぜこれほど劣化したのだろうか。筆者は、社会的に問題のある昭和二十年について今後どうするべきなのか、いくつかの例をあげながら考えていきたい。


コンビニで暴れる昭和二十年

コンビニで列に並んでいると「オイ!早くしろ」などの文句を垂れる声がする。振り返るとやはり昭和二十年であった。昭和二十年は、感情のコントロールが未熟でモラルに欠けていることが多い。年長者を敬う価値観で育った昭和二十年は、自らがその立場に立ったとき、年下の者より優遇されるべきだという傲慢な誤解に陥りやすい。早急に処すべきではないだろうか。


ファミレスで横柄な昭和二十年

よく訓練された社畜である昭和二十年は、金を払ったら上、何でも許されるという勘違いが激しい。あなたも一度ならずファミレスのアルバイト店員に横柄な態度をとる昭和二十年を目にしたことがあるはずだ。現在のファミレスでは、効率化された上での価格設定であることが理解できず、あくまでアナログな注文方法に固執し、店員を困惑させている。


町内会を仕切る昭和二十年

退職して社会や家庭に居場所を失った昭和二十年は、公園を自分の庭、公民館を別荘と勘違いしやすい。現役時代の肩書きを振りかざす昭和二十年は、町民を自分の部下と勘違いすることもしばしば。集まりに参加しないと罰金を課すなどして、迷惑極まりないルール作りに励んでいる。


謎の上から目線の昭和二十年

昭和二十年は、他人を叱責することに躊躇しない。筆者が指摘したいのは、叱責そのものではなくその中身である。先日、近所のゴミ集積場にある折りたたみ式のアミを広げていたところ、開閉口が南向きでない、との理由で声を荒げたのも昭和二十年であった。論理的な説明もなく、己のふわっとした理屈で他者を叱責する昭和二十年は醜い。早急に処さねばならない。


昭和二十年の行く末

右手で孫を溺愛し、左手では孫の未来を握りつぶしていることにすら気付かない、とても自己中心的な昭和二十年を苦々しく思っているのは、筆者だけではないはずだ。

また、医療費を湯水のように消費し、数の暴力で政治を操るのも昭和二十年である。特に、筆者の向こう三軒に住んでいる昭和二十年はタチが悪い。平日の午前中から公民館に入り浸り、町内の運動会や公園の清掃など、やくたいもないスケジュールを組んでいるのだ。

むろん、すべての昭和二十年がそのようであると言うつもりは毛頭ない。しかし一部に問題を抱えた昭和二十年が蔓延っているのは事実なのだ。今後、我々は、昭和二十年をどう処していくべきなのか、社会全体で考えていく必要に迫られている。