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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

一ツ橋大学の思い出

暮らし

みんなには、消してしまいたい過去ってある?

僕にとっての過去は、被害妄想と言われると、それまでなんだけど、34歳のある日のことだった。

あの日は、朝から浮足立っていた。

バス停についてから、忘れ物に気がついた僕は、急いで家に取りに帰った。戻ってくると、乗るはずだったバスはとっくに走り去っていて、仕方なく1本遅れのバスにのった。

遅刻しそうだった僕は、混んだバスの車内で時計を見ながら、ジリジリしていた。バスって、そんなときに限って、何度も信号にひっかかったり、ヨタヨタの老人が、モタモタしたりするんだよ。

そして、遅刻寸前にバス停に到着した車内から、僕は、飛び出すように駆けだして、変わりそうな信号を見ながら、走って横断歩道を横切った。

道路を渡りきった僕の背後で、けたたましい車のクラクションが鳴って、何事?とか思って振り返えると、どうも僕は、赤信号で飛び出したらしい。

「アンタ、下手したら今ごろあの世だぜ...」そんなセリフを自分に言い聞かせながら、人混みを駆け抜けて、職場にたどりつくと、ギリギリセーフだった。

ふぅー、やれやれ、朝っぱらからヒドイ目にあったな、とか思いつつ、タオルで汗を拭いていると、電話のベルが鳴った。


発送伝票

僕はひとまず、呼吸を落ち着けて、4度目のベルで受話器をあげた。

電話をかけてきたのは、お得意さんのおばあちゃん(80歳前後)だった。東京で働く娘さんへ、荷物を届けてほしいという依頼だった。

僕は、ハイ、もちろん、可能でございますよ、ええ、ええ、ハイ、ええ、ハイ、では、さっそく発送させていただきます。

という感じで、住所や電話番号など、必要な情報を聞きとって、受話器をおいた。

「あのおばあちゃんに、大学で働いてる娘さんがいるのか」とか思いつつ、僕は発送伝票に住所を記入していった。


取り返しのつかない件

その翌日、事態は急展開をみせた。

「ちょっと!チルド君!これなに!!」

職場で、一緒に働いているパートさんが、血相を変えて、問い詰めてきた。手には、きのう送った商品の発送伝票が握られていた。

「なにって、発送伝票ですよ。(見てわからないのかな?)おばあちゃんの娘さん、東京の大学に勤めてるらしいですよ」

「ちがう!住所!」

「なにか変更でもあったんですか?」

「ちがうっ!一橋大学!!」

そうなんです。

僕は、「一橋大学」を「一ツ橋大学」って書いてしまったんです。発送伝票、納品伝票、請求書、ぜんぶ「一ツ橋」です。


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その瞬間、ズーンという、胃の中に漬物石を落っことしたような鈍い痛みを感じました。

「ああ、すいません...おかしいな...八ツ橋と勘違いしちゃったのかな。ははは」

「なに嗤ってんの!!コレ、どうするの!」

「...」

どうする、と言われても、もう発送してしまったので、取り返しがつきません。書き直せるはずもなく…。僕は泣きそうで、うつむいていると、パートさんはさらに追い打ちをかけてきました。

「ねえ、君いくつなの?(34歳にもなってバカじゃないの?)」

会社の信用に関わるでしょう?(あたしまでバカと思われたらどうしてくれんのよ!)」

「小学生でもまちがえないよね?(このマヌケ!)」

明らかな証拠も残ってしまい、どうしようもなくて、本当に辛かったです。


荷物はどこまでも

荷物って、旅をしますよね。

そして、会社の関係者、クロネコヤマトの配送するひと、荷捌きするひと、一橋大学で荷物を受け取ったひと、たったひとつの荷物が、人の手から人の手へ。

その行く先々で、うわ、こいつバカだな、ああ、こんなの知らないひといるんだ…(哀)、などと思われてしまうんです。

荷物を手にしたひとが、みんな「恥ずかしいまちがいしてるな」って気がついてしまうんですよ。

その張本人が自分というね…。

それからというもの、一橋って聞くと、

一ツ橋〜、一ツ橋〜、嗚呼〜、懐かしの一ツ橋〜♪

という、切ないブルースが胸に去来します。

自分が、特段にバカだと思ってはいないんです。本も、新聞だって読みますし、義務教育までは、それなりに理解してるつもりです。

ただ、ふとした日常のスキマにあるんですよ。こんな落とし穴が。

僕たちは、歳を取ると、なんでも知ってるなんて、過信しがちです。しかし、そんな時こそ、謙虚な気持ちを持ち続けないといけない、そう思わされた出来事でした。