こんちは。チルドです。
先日の話しですが、僕がよく勉強に行くコミュニティで、ある人がこんなことを言っていました。
女って女の中での評価がすべてだからなあ。Aを評価する女が複数いるから、Aとつき合っておくかって感じだろう
自分はなんとも思わないけど、周りの友人知人のあいだでAの評判が良いから、とりあえずキープしておく─。
僕は、この説を聞いて以来、それがノドに引っかかった小骨のように気になって仕方がないんです。そして深く読めば読むほど、意味を感じれば感じるほど、ジワジワくるのは僕だけでしょうか。
これという結論を出せるワケではないのですが、僕の苦悩を共有してください。
評価の軸
ひとがなにかを選ぶとき、例えばインターネットで買い物するとき、ほかの人のレビューや口コミを参考にするのは、よくあることです。自分には良し悪しの判断がつかないので、ほかの人が高く評価するものを選ぶ。それが洋服であれば、みんなが可愛い、カッコいい、欲しいという商品こそ、自分にとっても良いものであるという考え方です。
ただし、これは商品に限った話しです。みんなは良いと言ったけど、自分には合わなかったというのもよくあることです。
ですから僕は、まず自分が良いと思った商品を決め(主)それから他人の評価をチェック(従)して選んでいます。
ところが、上記の説では、その主従が逆転しています。他人の評判が主であり、自分の評価が従。つまり、Aに対する他人の評価が下がると、Aの価値も失われてしまうのです。
それらを踏まえたうえで、あらためて「女性は、女性の中での評価がすべて」説を読み返してみると、背筋が凍るような悪寒を覚えるのです。
そこには、感情の欠片もなく、ただ「ほかの人が欲しがるものを手に入れた」という暗い優越感だけが存在するのではないでしょうか。
しかし、Aは商品ではなく、人間なのです。
姿かたちは同じようでありながら、Aは世界にたったひとつの個性であり、金型でいくつも複製できる、たい焼きではないのです。
ああ、恐ろしい、恐ろしい。