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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

鬼頭さん(仮名)の人生

暮らし

もう亡くなってしまったのですが、僕の勤めているお店のお客さんに、鬼頭(仮名)さんという60代の男のひとがいました。

毎日、朝の9時ごろ、ひとりでフラリとやって来て、コーヒーを注文します。そして、新聞を読むわけでも、こちらに話しかけてくるでもなく、ただ周りの様子を静かに眺めているのです。

じつは、この鬼頭さん、とても悪い人でした。僕の経験上、みんなが働いている時間帯にコーヒーを飲みにくるお客さんは、たいてい悪い人です。


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出身は、大分県の国東半島。14歳で少年院に入り16歳のときに、この街へやって来たそうです。

その身ひとつの鬼頭さんは、働くところもなく、駅の裏手にあったダンスホールでスリをしていたそうです。お客のふりをしてホールへ紛れ込み、酔っ払ったひとの財布を盗んでいました。

しかし、それがずっとうまく行くはずもなく、ある日、鬼頭さんが、財布を盗って店の外へ出ると、地元の悪い人たちに囲まれていました。

戦後まもない昭和27年ころです。警察を呼ぶより、地元の悪い人たちに頼んだ方が、話が早かったのでしょう。

腕っぷしの強い十数人にとり囲まれて、鬼頭さんは文字どおり、袋叩きにされてしまいます。本気で命の危険を感じた鬼頭さんは、最後の力をふりしぼって、岸壁から海に飛び込みました。

真冬の、真っ暗な冷たい海のなかです。

口から血を流し、仰向けに浮かんだ鬼頭さんは、全身を打たれた傷で、体中が熱かったと言います。


そして、その次の日の夜、鬼頭さんは、ボロボロになった体のまま、ダンスホールへ向かいました。

「ほかに生きるすべが無かったんや」

薄笑いを浮かべて、鬼頭さんは言いました。

そして再び、地元の悪い人たちに捕まってしまいます。しかし、今度は、袋叩きに合うことはなく、悪い人たちの元締めのところへ連れて行かれました。

「ここで死ぬか、まともに働くか、どちらかを選べ」

働けるなら、働きたい。

小柄で幼く見えた鬼頭さんは、どこへ行っても雇ってもらえませんでした。しかし、こうして鬼頭さんは、元締めの口利きで、地元の漬物屋さんで働くことができるようになったのです。



つづく