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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

茶道を始めるときのたった1つの心構え

こんちは。ライターのチルドです。

まえにも書いたことがあるのですが、僕は若いころ茶道を習っていました。

まる3年間、毎週金曜日の夜と、日曜、祝祭日に催されるお茶会に、一度も休むことなく参加していました。

最初の稽古の折は、穴の空いたジーンズにTシャツ、髪は白っぽく染めていたと記憶しています。靴下をはいていたかどうかも怪しいところです。

当時を思い出して書いているのですが、変な汗が出てきました。葬り去りたい過去ってありますよね。僕はそれくらい茶道を、いや世の中のすべてを舐めきっていたのです。


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そんな僕ですが、すぐに茶道の奥深さに魅了され、その世界観にドップリと浸かっていきました。天賦の才と言いますか、生来の素質にも恵まれていたのでしょう。僕はわずか1年で教室の発表会などで茶を点てるまでに成長していました。

先達の先輩方(30人ほど)を差し置いて、1年足らずの僕が指名されたことには、正直なところ戸惑いましたが、滞りなくやり遂げることができました。

衝撃の事件

ある日のことです。2時間の稽古が終わり粛々と片付けをしていたところ、事件は起こりました。

お茶碗を洗っている横で、パキっという乾いた音が聞こえたのです。僕はなんの音だろうと隣に目をむけて愕然としました。

なんと、隣の男性の手の中でお茶碗がまっぷたつに割れていたのです。それは絵に描いたように、綺麗に中心から縦に割れていました。

その後どうなったのか、気が動転してしまってはっきりとは覚えていません。しかし、後日聞いたところによると、お茶碗を熱心に拭いていたら割れてしまった、とのことでした。

僕も拭くときは結構、力を込めて拭いていたので、心底ゾッとした出来事です。

これから茶道を始めようとする方、もしくは将来習う機会があったとしたら、ぜひともこの話を思い出してください。

茶道に使う道具(とくに茶碗)は、力を込めて拭くと割れてしまいます。そんなに力を込めた意識はなくとも、繊細な茶器は容易に壊れてしまうのです。とくに男性はご注意くださいませ。

茶道の良さ

これで僕の伝えたいことは全部です。

蛇足ですが、僕が個人的に感じている茶道の印象を語らせてください。

茶道はその所作のひとつひとつに意味があります。例えば、茶道の手順では、お茶を点てる前に釜へ水をさしますが、あれは風情をだすためでも、手順で決まっているからでもありません。

釜に水を足すことで、お湯を注ぐときに最適な温度になるよう調整しているのです。ですから、暑い日には少なめに、寒い日には気持ち多めに水をさす心配りが大切です。

つまり茶道は、手順を覚えるのではなく、いかに美味しいお茶を点て客人に尽くせるか。すべての形式はその一点に集約されています。

…というのは、僕の勝手な解釈なのですが、当たらずとも遠からず、といったところではないでしょうか。

もう茶道はすっぱり止めてしまいましたが、続けていれば、あるいは僕は、名のある茶道家になったかも知れません。

美しい空間

僕は、茶室に漂うあの凛とした空気と、美しい空間が好きでした。「美しさ」とは、見た目だけではなく、皆で「美しい場所を作っていく」という統一された価値観でもあります。それは物であり、心であり、空間の創造でもあります。

そして、ひとつの美しい価値観は、人に揺るぎない安心感を与えてくれます。ある種の宗教的な安らぎとも言えるでしょう。

しかし、僕の心はそこに留まることができませんでした。どんなに汚れていても、混沌とし、猥雑な、いわゆる俗社会にこそ、僕の生きる道がある、そう感じたのです。

それは僕の人生のなかで、初めて「育ち」を強く意識した瞬間でもありました。お里が知れると言いますが、自分でそれを認識するのは、一抹の悲しさもあります。人生って、本当に味わい深いものですよね…。

もしもあなたが、人生に迷うことがあるならば、ぜひ茶道を始めてみてください。きっとなにか得るものがあるはずです。