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散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

スカイラークの思い出

暮らし

こんちは。チルドです。

むかし山梨県の甲府市に「スカイラーク」というファミレスがありました。今はガストという名前になっている、たぶん、あの系列のお店です。

30年前なので、もうあの場所には、とっくのむかしになくなっていると思います。インターネットの力を持ってすれば、あるいは座標を特定できるかもしれませんが、特定してどうするんだ、って話ですよね。

もうずいぶん古い話ですから記憶もところどころ風化しています。思い出すままに書いていくので、文法がおかしいのはご容赦ください。

この話をするとき、僕はすこしだけ普通ではいられなくなるのです。

引っ越し

その日は朝からあわただしい雰囲気でした。父は家の中から布団や毛布を車に積みこんでいました。車はトヨタの白いハイエースでした。

前の日は引っ越し屋さんが荷台の大きなトラックでやって来て、タンスや僕たちの机を全部つんでいきました。家の中は空っぽです。

父はいろいろなところへ電話したあと、大家さんにあいさつしてくると言って出かけました。

そのとき僕は、姉の友だちがくれた「あさりちゃん」の漫画を、寝ころんで読んでいました。「パタリロ」だったかもしれません。姉はカーテンがない窓ぎわに腰かけて、なんと学校の教科書を読んでいました。

テレビもなく、そとへ遊びに出てはいけない、と言いつけられていた僕はとても退屈でした。何もなくなって広くなった畳のうえを意味もなくゴロゴロ転がっていました。

お昼が近くなってお腹が空いてきたころ、父が帰ってきました。そして「そろそろ行くぞ」と言って家から出ました。

父が車の運転席にすわり、僕は後ろのスライドドアーを開けて勢いよく乗り込みました。後部座席はシートをぜんぶ倒してあり、そのうえに布団もありました。

車のエンジンをかけてから父は姉に「行くぞ」と言いました。でも姉はじっと立ったまま家の方を向いていました。僕も後ろの窓を開けて「いくよー!」と言いました。

それでも姉はピクリとも動きませんでした。僕はとうとう耳が聞こえなくなったのかな?とか思って「いくよー!」とさらに大きく呼びました。

ふだんはすぐに怒り出す父が、黙って運転席に座っていました。やっと姉が車に乗り込んで、僕たちは出発しました。

スカイラーク

父は車を運転しながら、僕たちにお昼はどこで食べたいか聞きました。僕は即座に「スカイラーク!」と答えました。

あの頃の甲府という街は、すごい田舎で、そこにあった唯一のファミリーレストランは僕にとって大きな存在でした。

ふだんなら却下される希望を、父は受け入れました。僕が狂喜乱舞したのは言うまでもありません。

スカイラークでは洋風の変わったお仕着せのウェイターが注文をとりにきます。僕はそこでメニューの写真をゆび指して注文するのが、たまらなく好きでした。

姉がなにを注文したか思い出せませんが、父はスパゲッティとビールを注文しました。あの頃は飲酒運転しても大丈夫だったのです(今はダメですよ)。

ハンバーグ

僕は運ばれてきたハンバーグに目を輝かせました。小さい手でフォークを持ち一生懸命にちぎって口に運びました。手はベトベト、飛び散ったソースのシミがねずみ色のトレーナーに新しい模様を描いていました。それが僕の通常運転でした。

姉はメープルシロップを薄く伸ばしてパンケーキのようなホットケーキを食べていました。そう、姉はここへ来るといつもそれを注文していたのです。

ナイフとフォークをきちんと構え、パンケーキを正確に四等分にしたのち、それをひとくちサイズに切り分けます。姉はパンの欠片をフォークでそっと持ち上げて音もなく咀嚼しました。もちろん手にも服にもシミひとつ付けることはありません。

そんな僕たち兄妹の様子を、向かいに座った父はおだやかに見ていました。ビールを飲みながら、たまにスパゲッティをつついています。

「もうママに会えなくなるけどいいか?」

父がとうとつに言いました。

僕たちの母親は数年前に急にいなくなっていました。父は母の知り合いを通じて幾度か話し合いをしたようですが、結局もとに帰ることはありませんでした。

男手ひとつでふたりの子どもを育てるのは難しいということで、父の母がいる九州の実家に帰る(引っ越す)ことにしたようです。

当時の僕にはそんな事情が分かるはずもなく、ママが居なくなった。今度は引っ越し。九州って遠いの?くらいの感覚でした。

ですが、ママに会えなくなるという意味はなんとなく分かりました。遠くに行くから会えなくなると─。

おそらく父の言葉には、物理的な距離以上の意味があったのでしょうが、僕はうなずきました。

姉はパンケーキを黙々と消化していました。

そして父はこう続けました。

「ママとパパのどっちが好きだ?」

僕はちょっと考えてから父の方だと答えました。姉はパンケーキを食べ終えて、ミルクセーキのストローを、小さな宗教家のような面持ちでくわえていました。

すると父の目から大粒の涙がこぼれました。真昼のスカイラークで、ビールを片手に、全力で嗚咽する男が生まれました。

僕は父が泣く姿を、いや、おとなの男の人がそんなふうに泣くのを見たことがなかったので、とても驚きました。

となりで姉がヒックヒック言い始めました。泣いているのです。鉄の女が熱い涙を流しているのです。

僕は意味が分かりませんでしたが、とりあえず便乗して、ことさら大きく泣いてみせました。

あのとき僕は、正直に言うと母が好きでした。母が使っていたハンカチを肌身はなさず持ち歩いてときどき匂いを嗅いでいました。

しかしあのタイミングでは「パパが好き」と答えて正解でした。頭で考えた訳ではなく、そう言わなければいけない気がしたのです。

あのとき食べたハンバーグの味は、忘れてしまいました。どちらかと言えば、東京の人がおみやげでもってきてくれたケンタッキーフライドチキンが強く印象にのこっています。

こうして僕たちは九州へ旅立ったのです。

最後に、

ちかごろ物忘れが激しいです。昔の出来ごとを思い浮かべると、その風化の度合に愕然とする自分がいます。忘れたくないと強く思います。

20代の頃は、何もかも忘れてしまいたいと思っていたのにへんですよね。

お子さんをお持ちのご夫婦のみなさま。どうかお子さんを、ご家族を大事にしてくださいませ。


こちらからは以上になります。


乱文、お読み頂きありがとうございました。