読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

散るろぐ

千載具眼の徒を待つ

評価経済社会と正しさの怖さ

暮らし

今日はちょっとシリアスな話をするよ。

僕はとても憂いているんだ。それはインターネットの中だけじゃなくて暮らし全般に言えること。みんなにとっては耳の痛いことかもしれないけど落ち着いて聞いてほしい。


http://www.flickr.com/photos/81787495@N00/92083733
photo by Toni Blay

評価経済社会

この言葉知ってるかな。キーワードから一部引用すると

1億円持ってる人より、Twitterのフォロワーが100万人いる人のほうが偉いという価値観。

ってことらしい。

偉いかどうかは別にしても、インターネットでちょっと広告の仕組みを知っている人なら100万人の閲覧者が1日どれくらいの報酬をもたらすか想像がつくと思う。

つまりインターネットの世界では評価経済社会がとっくに実現しているんだよ。大学生なのにすでに2万人のフォロワーがついてるなんて人もいて、それだけでも一人なら十分生活できてしまう。それが今のインターネットなんだ。

だけどこれっていつも周りに気を使わなきゃいけないってことでもある。人気(評価)が容易に換金できる時代では本人の意志とは関係なく利益を得ていると決めつけられてしまうんだよ。

でも人間は本来つまずいたり転んだりするものだよね。たとえどんなに偉くなっても間違いはあって当然なんだよ。

ところが評価に価値が生まれたことでそれを許せない圧力が高まっている。間違えた時にはお金を返せならぬ評価を返せというわけ。本来ならば手を差し伸べなければならないときでもね…。逆に蹴り落とすような事態になってしまう。

期待と失望

みんな有名な人に期待しすぎていないかな。勝手に評価して勝手に失望していないかな。自分の見立ての甘さを棚に上げていないだろうか。

つい先日も僕の大好きな女性がそんなふうな被害にあっていた。

彼女を批判するひとたちは、けっきょく彼女が与えてくれるモノゴトの考え方やマーケット感覚が欲しいだけだった。だからちょっとした落ち度にも、評価を与えたのに裏切ったといって必要以上に糾弾してしまったんだ。

評価と愛情

そんなとき名の知れたネットウォッチャーは意外と冷静だった。それは彼らが評価と愛情をきちんと分けて考えることができてるからなんだ。騒いでいたのは評価を与えたのに裏切られたって勘違いしてる人たち。

僕は彼女が更新してくれたら、それだけで嬉しい。煽っている感じがたまらなく可愛いんだよ。だから実際のところ内容の正しさはオマケみたいなものなんだ。お面のしたの素顔よりパンツの中の方がよっぽど重要ってこと。

彼女はディーヴァなんだ。みんなだってお気に入りの歌姫が、歌詞や踊りの一部をまちがえたって騒いだりしないだろ?そうゆうことなんだ。

僕は彼女が元気に、そしてゆるく生きてくれればそれだけで幸せ。

なにひとつ求めたりしない。

大事なのはもしも彼女が何も書けなくなっても僕は彼女のことが好きってことなんだ。

正しさと人格

ちょっと脱線してしまったから話を戻すよ。僕はなにも無償の愛みたいなことを言いたいんじゃない。評価の価値が高まったけど、評価の高い人に正しさを押しつけちゃいけないってこと。それはときとして暴力になるよ。

人は間違えることを前提にして、間違いはまちがい、評価は評価、人格は人格というように分けて考えなきゃいけない。

僕はいつも間違ってしまうから正しさの怖さを知っているんだ。だから自分も正しさで誰かを傷つけないようにしたい。

人を侮ることなくいつも思いやりが先に立つように…。そんな価値観をみんなと分かちあえればいいのにな。



んじゃ、また明日ね。