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少々、不愉快な出来事があったので書きなぐらせてもらう。
その場でカタをつけてやも良かったのだが、そこまでやるのも大人げない。しかし、このまま黙っているとストレスになるので、書くことでモヤモヤを晴らすことにする。
帰り道にエンカウントした知人
僕の知り合いにAという男がいる。久しぶりに合ったAは高校時代からの腐れ縁だ。今どきの言葉でいえばマイルドヤンキーにカテゴライズされるのかもしれない。年は僕と同じ39歳。仕事は建築関係。ついでに既婚者、子持ちでもある。
Aは執拗にジョイフルを推挙したが丁重に断った。Aはなにか勘違いしている。今の僕はネットリテラシーに長けた英国紳士であり、ローファーの踵をふみ、制服のズボンを腰ばきしていた男は、すでに死んでいるのだ。
会話の詳細は飛ばすが、詰まるところAの自慢話だった。今まで何人の女性と関係を持ったか、というような下衆な話である。
Aによると100人近くと関係したらしい。そして、その「経験」とやらによって、今の嫁さんと巡り合い幸せになったらしい。当然、僕の「経験」にも言及してきたが、2人だけと正直に言った。
そこでもしAが笑っていたら、幸運にもAは笑わず、自嘲気味に視線を落としただけだった。
ナンパは確立論
結局Aは、手当り次第、女性に声をかけて関係を持っている。ありきたりなナンパだ。メンヘラが云々という話もあるように、方法論として精神的に不安定な女の子を狙うのは合理的だろう。実際のところナンパが成功するのは、アプローチや会話術とは関係なく、声をかけまくればそういう子に行き当たるというだけの話だ。
テレホンアポイント、通称テレアポが無くならないのは、100人かければ1人、統計学上は200件かければ1件は絶対に成功するからと言われている。
しかし、そういった手法で女性と関係を持つことが、果たして「経験」と言えるのだろうか。ただ単に弱みにつけこんで関係を持ち、目的を達したら(用済みになったら)手を拭いたキッチンペーパーのように丸めて屑籠に捨てるだけだ。
僕はそんなものを「経験」として認めない。
女子高生
僕は女子高生が好きだ。大好きだ。だからAが暗にほのめかした「肌が水を弾く」という表現に、女子高生を連想し、下腹部に軽い疼きを覚えたのは否定しない。
しかし、若い女の子は、まだ自己評価が確立していない。たとえ39歳のおっさんでも、徹底的に「いいひと」を演じれば近付くのは可能だろう。またお金持ちを装っても見破られにくい。コンビニなど夜間のバイトをしている子に「困っている友達を紹介してほしい」と言って接点を作る方法もある。
だからと言って、僕はそんなことをするつもりはない。しかし、他のつまらない男が仕掛ける罠にかかる可能性は高く、ならばいっそのこと自分が…と思わなくもないが、その子が幸せになる確率を自分がゼロにしてしまうのは避けたい。
つまり僕は、魅力的な異性として女子高生に欲情はするものの、リスペクトする気持ちとは、また別の話しなのだ。従ってその目的が達成されてしまえば早々にボロが出るのは目に見えているし、リスクと結果を考えれば相手に(自分にとっても)不幸な結末しかない。
そもそも僕は大人の紳士なので、女子高生を「かわいい」の象徴として崇拝している。極論、僕は、彼女たちの未来を守るヴァンガードなのだ。
何の話しをしていたのだろう?
経験人数についてだ。どこから女子高生に脱線したのか。
いくら裕福になってもすべては叶わない
根本的なことを言ってしまえば、いくら金持ちでモテても、すべての女性が手に入るわけではない。見初めた相手が既婚者であれば、望んだところで手には入らない。策略を巡らす道もあるかもしれないが、時間とコストがかかり過ぎる。結局は自分の中で折り合いをつけ、どこかで妥協するしかない。どんなに裕福であってもだ。
だから僕はべつにモテなくてもいい。2人しか女性を知らなくても構わない。それが有意義な経験になるとも思わない。
ともかく、男がやたらに経験人数を吹聴するのは、くだらないと思う。