ちるろぐ

ここが僕のアナザースカイ

ポルトガルの記憶

僕は16歳のとき初めて海外に渡った。降り立った地はリスボン。ポルトガルの首都。

日本から直線距離で1万キロの彼の地に、僕が旅立った理由は、母方の実家にホームステイするためでも、外交官だった父親の仕事の都合でもなく、失われた名誉を取り戻すためだった─。


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photo by F H Mira


PC98版 大航海時代の話しである。僕は、光栄の名作「信長の野望 戦国群雄伝」をプレイしたいがために、当時40万円のパソコン(NEC PC9801)を購入した。資金はアルバイトで手に入れた。時給530円の時代、6ヶ月分(755時間)を投入した。

僕は、若干16歳にして、すべての大名で天下統一という偉業を成し遂げた。個人的には飛騨の少大名「姉小路」に入れ込んでおり、果たせなかった父の野望を息子の頼綱で成し遂げるのがお気に入りのプレイスタイルだった。

そして、日本を征服した僕は、それが定められた運命のように世界に目を向けた。

大航海時代の幕開けである。

僕は、夜な夜な、大きなブランケットを、頭とパソコンをすっぽり覆うようにかぶり、光が漏れないようにしてから、フロッピーディスクを2つのスロットに差し込んだ。そしてピサ港からナポリ港へ、美術品を大量に運んだのだ。僕はその資金を元手に、大きな帆船を編成し、老航海士のロッコを従えて、世界中の海を駆け巡ったのだ。

すまない。

何を話しているのか、ぜんぜん通じていないかもしれない。だけど、とにかく知って欲しいんだ。僕が、世界中の海を、港を、都市を、どれほど愛していたかということを。



翻って、現実の僕といえば、海外旅行はおろか、パスポートすら持ったことがない。生まれてこの方、日本から一歩も出たことがない、体たらくである。

なぜだろう。なにかが燃え尽きてしまったのかもしれない。お金、仕事、女性、そのどれにも、興味がなくなってしまった。

今はただ、何もない部屋で、ブルーハーツの情熱の薔薇を聞きながら、静かに涙を流している。